ベルウッド・レコード50周年記念、三浦光紀と振り返るはっぴいえんどとの出会い



田家:これはシングルとして上條恒彦と六文銭という形で発売になったんですが、お聴きいただいたのは2009年の六文銭 ’09です。

三浦:これは小室さんの娘さんのゆいちゃんとおけいちゃんが入っている曲なので、僕はこっちの方が好きなんです。上条さんが歌っている「出発の歌」は、僕が録音的にちょっと気に入らなくて、流れる度に悪いことしたなと思って聴いたんですよ。

田家:失敗したんですか! どこがって聞いちゃっていいですか?

三浦:どこっていうわけじゃないんだけど、自分の感性と合わなかったなと。しかも当時2チャンネルなんですよ。今まで聴いた小室さんの曲もみんな2チャンネルじゃないですか。もう同時録音ですよね。だからそのバランスの取り方がめちゃくちゃ難しいんですよね。

田家:この「出発の歌」はヒットしたわけですけども、ヒットするだろうみたいな考えはあったんですか。

三浦:いや、なかったです。入賞、グランプリとか思ってもいないし、メンバー全員そうです。一応プロの人たちが中心だったんで、アマチュアが入れると思ってなかったんですよね。だけど、後で聞いたら審査員は当時「話の特集」の矢崎さんとか、それから永六輔さんも審査員に入ってて。それで今までの既成のアーティストじゃなくて、新しいアーティストを選ぼうって彼らが言ってくれたみたいですね。「出発の歌」を押してくれたみたい。

田家:なるほど。ヒットしたことで会社の中である種の変化はありました?

三浦:フォークソングが商売になると会社は思ってくれたんじゃないかなと。これが僕の最初のシングル盤ですから、新人で初打席初ホームランみたいな感じ。まぐれ当たりですよ(笑)。

田家:会社は三浦は何者だっていう感じになったのではないでしょうか?

三浦:でも実はこれ、小池さんがチーフなんで、僕は小池さんのアシスタントなんですよね。だから普通は小池さんがヒットを出したって言うんですよ。だけど、小池さんは「これは三浦さんだ」って言うから。でも、一応僕が一緒にコンテストも全部付き合って、録音も僕がやったので。ただ立場はアシスタントで、でもこれが最初のシングルヒットです。

田家:次は高田渡さんの1973年のアルバムから「自転車に乗って」。今日はファンキーヴァージョンでお聞きいただきます。

Rolling Stone Japan 編集部

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