ピンク・フロイド『狂気』50周年 制作背景とバンドの内情を生々しく語った秘蔵インタビュー

 
シド・バレット時代〜『狂気』に至るまで

スタッフの工夫や集中的な作業があったことは事実だが、『狂気』を創り上げるたった4年前の彼らは、音楽面のリーダーを失って袋小路に迷い込んでいた。フロントマンのシド・バレットは、ピンク・フロイドにとってすべてだった。彼はルックスで人気があり、ソングライター、シンガー、そしてリード・ギタリストでもあった。

「彼は奇跡の少年だったよ」ギルモアは語る。バレットに率いられて、バンドはケンブリッジの中産階級出身のアート系の学生たちからロンドンのアンダーグラウンド・ヒーローへと成長を遂げた。1967年のデビュー・アルバム『夜明けの口笛吹き』の一風変わったイギリス的なポップ・ソングの数々はライブで爆発、アシッドに満ちた宇宙空間のインプロビゼーションへと飛び立っていった。


1967年前後のピンク・フロイド。左からロジャー・ウォーターズ、ニック・メイスン、シド・バレット、リチャード・ライト(Photo by Keystone Features/Getty Images)



連日のLSD使用と密かな精神疾患により、ピンク・フロイドが2枚目のアルバムに着手する頃には、バレットは無気力状態に陥っていた。彼の曲を書くペースは落ちていったし、ステージ上でギターを弾かず立ち尽くしていたライブも少なくとも1回以上あった。彼は現実世界から漂流していったのだ。バンドは後任メンバーとして、同じくケンブリッジ出身のデヴィッド・ギルモアを迎え入れた。彼は力量のあるシンガーで、より明確なブルース・ギタリストだった。バレットとギルモアは6週間ほどのあいだ同じバンドに在籍していた。

ザ・ビーチ・ボーイズが置かれている状況を知ったピンク・フロイドのメンバー達は、ブライアン・ウィルソンがそうだったように、バレットを在宅メンバーにすることをしばらく検討した。彼が自宅で曲を書き、バンドはギルモアを伴ってツアーに出ることを考えたのだ。

「彼の才能を生かし続けたら素晴らしいと思ったんだ。もし彼がいる場所から戻ってくることが出来たならね」ウォーターズは言う。だが間もなく、彼がそれすらも出来ないことが明らかになった。

「シドは“仕事をする”やり方を知らなかったんだ」と語るのは、長くバンドのアート・デザイナーを務め、バレットの親しい友人でもあったストーム・ソーガソンだ。「彼にとって、音楽をやるのは自然なことだった。考える必要すらなかったと思う。問題だったのは、それを失った彼が補うものを持っていなかったことだ。彼は流れ星のように燃え尽きてしまった。美しかったけど、消えてしまったんだ」

ピンク・フロイドの当時のマネージャーが「バンドで価値があるのはシドだけ」と考えていたと、ウォーターズは語っている。そのため、ピンク・フロイドは契約を解除されることになった。「当時の俺の気持ちは『あんた達が正しかったかは、時間が経てば判るさ』というものだった」とウォーターズは思い起こす。バレットを失ったことで、残されたメンバー達のあいだには連帯感が生まれた。

「シドがいなくなった1968年から1973年のあいだ、我々はみんな現実的に物事を考えていたよ」とウォーターズは付け加える。「絶対に昼間の普通の仕事には戻らないと決意していたんだ。そのためには、本気で音楽に取り組む必要があった。やるべきことはすべてやらねばならなかったんだ」

シドがバンドを去ってから『狂気』に至るまでのアルバムは、自分たちの音楽性、自分たちの声を見出そうと模索する作品だった。

『ウマグマ』(1969年)にはキーボード奏者のライトによる13分半の、『スパイナル・タップ』めいたタイトルの「シシファス組曲」が収録されている。彼らは野心的で、必ずしもすべてが成功したとは言い難い試みも行ってきた。合唱隊とオーケストラと共演した「原子心母」や、牧歌的なインストゥルメンタルとローディーが朝食の準備をする生活音を融合させた破天荒な「アランのサイケデリック・ブレックファスト」などがそうだった。「シーマスのブルース」は基本的にギルモアが犬の吠え声とブルース・デュエットをするという、真の捨て曲だった(この曲がそう思わせるかも知れないが、バンドのメンバー達はこの時点でサイケ系ドラッグをやっていなかった。実際のところ、彼らがさほどLSDに傾倒したことはなかった。ギルモアは「シドが俺たちのぶんまでキメていたんだよ」と語っている)。



「俺たちにはそこそこ勇気があったし、とにかく面白いと思えるようなものだったら何でもレコードに収録していたんだ」ギルモアは言う。「でも試行錯誤の数々の中には、決して前向きの成果を生まなかったものもあったし、インスピレーションがパッとしなかったこともあった。『サイケデリック・ブレックファスト』はあの曲なりに良かったんだけど、もう聴きたいとは思わないよね。それから『エコーズ』のような、より構成が固まった曲へと向かっていったんだ」

1971年の「エコーズ」は最初から最後まで効果的な23分のナンバーで、『狂気』より前のロング・フォームの曲としては最も成功したものだった。ウォーターズは付け加える。「構成や音楽性の面で、『エコーズ』は『狂気』の前身に最も近い曲だろうね。もう1曲を挙げるとしたら『神秘』だな。いくつかの楽章があって、速い部分や遅い部分があったり、音楽的に通じる部分があった。ただ『狂気』にはひとつのテーマがあって、純粋に何かについて描いているという点で、最初の作品だった」




長身で攻撃的、皮肉屋のウォーターズがバンドの新しいリーダーであることが徐々に明らかになった。

「別に選ばれたわけではない。自然にそうなったんだ」と彼は語る。「バンドをやったことがある人なら判るだろうけど、誰かが手綱を取ることになるんだ。そういう役割なんだよ。もちろん人間にはそれぞれ個性や性格があるから、『こうやったらどうだろう?』と提案して、それが良いアイディアであれば追従するメンバーもいるだろう。そうして望むと望まざるに拘わらず、リーダーとフォロワーという役割が生まれるんだよ」

Translated by Tomoyuki Yamazaki

 
 
 
 

RECOMMENDEDおすすめの記事


 

RELATED関連する記事

 

MOST VIEWED人気の記事

 

Current ISSUE