中島みゆき『世界が違って見える日』、プロデューサー瀬尾一三と紐解く

夢の京 / 中島みゆき

田家:アルバム『世界が違って見える日』の最後の曲「夢の京」。「京」と書いて「みやこ」と呼びます。まさにアルバムの着地の曲。

瀬尾:デモテープのときから曲順はもう決まってたので、これが最後というのははなからわかっていて。このアルバムの中での要になるのはもうわかってたことなんで、どうやって表現しようかいろいろと考えましたけど、やっぱりいつもの直球投げたほうがいいなと思って。まあそれしかできなかったけど、直球でいいやと思って直球にしてます。

田家:かなりこれは時間がかかった?

瀬尾:そうですね。ある意味僕も好きな積み上がっていく感じ。歌も内容も好きなのなので苦労はしましたけども、加減みたいなのがどこまで行っていいのかというのがあるし、本当に「夢の京」が現実なのかうつつの京なのか。夢だからうつつの感じも出さなきゃだめっていう。オアシスみたいに現実にあるわけじゃなくて蜃気楼的な感じ。そこを目指すしかないよねって。もしかしたらついたらそこはただの荒地かも幻かもしれないけど、そこには向かっていかなきゃだめだって。

田家:一番はどこか非現実的な感じもありますよね。2番は風格と格調と、まさに大地と樹木が見える。

瀬尾:それは母なる大地の神様が中島さんなので。で、それが広がっていく。

田家:ゆったりしたテンポ感が。

瀬尾:こういう感じに持っていくのは、いろんな今まで舞台でやっているので、もうちょっと曲として独立して聴いてもらえるようにするのが舞台とちょっと違う感じですね。

田家:この「なのに人は」っていうことでところで言葉を飲んでしまう感じがわかりますもんね。人間の愚かさみたいなものもわかりながらね。

瀬尾:まあ性というか業というか。

田家:で、鳥も人もいなくなってしまった。大地の木の会話っていうのは『ウインターガーデン』でありましたもんね。

瀬尾:あれはコミュニケーションツールを持ってない世界の話なので。

田家:「夢の京」の木は希望の木ですもんね。

瀬尾:木がちゃんと根を張っててくれればいいんですけどね。上に高く高く盛り上がっていて、でも触ったら崩れてくるガラスみたいなんだったら。その辺のこともいろいろと考えてるってやろうとしたんですけどね。

田家:「夢の京」に帰ろうと言っても、でももうないって言ったりもしている。アルバム最後の曲「夢の京」でした。瀬尾さんにとってこのアルバムはどういうアルバムになりましたか?

瀬尾:これは久々のスタジオ録音だったので、初めはちょっとペースがよくわかってなくて。最近出したのはいわゆるコンピとライブ作品なので編集作業をずっとやっていて。人と一緒にやるっていうのがもう久々だったのでちょっと戸惑いました。あと自分のエネルギー的にも体力的にも2年間ミュージシャンとスタジオでやることができなかったので、いろんなところでとまどっちゃって、ちょっと時間がかかっちゃいましたけど。

田家:でも出し切った感がありそうですね。

瀬尾:そうですね。僕自体どのぐらい現役でいられるか分からないので、あまり晩節を濁さないようにと思いながら(笑)。書き混ぜてもいいんですけどね、別に(笑)。頑張ってやっていました。

田家:このアルバムを聞いて世界が違って見えるといいなという、アルバムですね。

瀬尾:違って見える日が来るか、来ているか、それは皆さん自分で決めてください。

田家:来週と再来週は瀬尾さんのコンピレーションアルバムの全曲紹介をお願いしたいと思います。来週もよろしくお願いします。

瀬尾:よろしくお願いします。

Rolling Stone Japan 編集部

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