続・J-POPの歴史「バンドからソロへ、音楽業界が盛り上がり続けていった1996年と97年」



96年2月発売、JUDY AND MARY「そばかす」。96年の年間チャート18位、ミリオンセラーですね。彼らの最大のヒット曲。97月に発売になったアルバム『THE POWER SOURCE』、これは300万枚を超えました。年間チャート4位ですね。作詞がYUKIさん、作曲がベースの恩田快人さん。バンドブームはあっという間に終息したんですけども、その中で活動していた人たちはそれで諦めたわけではなくて、次のバンド次のバンドと再起を図った例がたくさんありました。恩田さんも、それまでのバンドを解散して、90年にハードロックバンドJACKS'N'JOKERを結成したんですね。映画『いつかギラギラする日』の演奏シーンの撮影が函館で行われて、そのロケのときにエキストラできてたのが短大生のYUKIさんだった。この話はJUDY AND MARY伝説ですね。彼女のデモテープがきっかけで93年にデビュー。プロデューサーが佐久間正英さん。今のベースとギターがセッションしながら進んでいくみたいな、あれはBOØWYにはあり得なかったですからね。全く違うビートの音楽性のバンドを佐久間さんがジュディマリで試みました。

ジュディマリを初めて見たのを覚えてるんですけど、94年の日清パワーステーション。YUKIさんがカップヌードルの被り物をかぶってステージに出てきたんですよ。95年、野音で見たときに「Over Drive」が出るときで、「JUDY AND MARY、この勢いを止めたくない」と叫んで歌った。かわいかったですね。そういう中で実力を見せつけたバンドの曲です。サザンオールスターズ「愛の言霊」。



96年5月に発売になった、サザンオールスターズの「愛の言霊」。年間チャートが7位で、彼らにとって4作目のミリオン。本当にミリオンセラーがたくさんあって、それぞれの曲はやっぱりいい曲が多い。もちろんそのときだけの瞬間風速のような曲もたくさんあったんですが、でも一つ一つ見ていくとやっぱこれもいい曲だなと。この曲の入ったアルバムは、96年7月に出た12枚目で『Young Love』。最終的には240万枚売れた。サザンオールスターズで一番売れたアルバムなんですね。

右肩下がりの人たちが多い中では、彼らにしかない一つの軌跡でしょうね。『Young Love』は小林武史さんから離れてセルフプロデュースだった。90年にサザンオールスターズ『稲村ジェーン』、92年『世に万葉の花が咲くなり』、小林さんと組んでアルバムが続いて、これは自分たちで作った。当時のインタビューの中で一つの原点回帰って話をしてた記憶がありますが、この「愛の言霊」は全然原点回帰じゃないですもんね。全く違うことをやってる、それが彼らの実力であり、すごさでしょうね。この『Young Love』っていうタイトルは、1957年に出たタブ・ハンターの歌があったんですけども、彼は当然それを知ってたんでしょうね。12枚目で最多記録更新したバンドですね。

サザンの翌年にデビューした人たちの曲をお聴きいただきます。

NとLの野球帽 / CHAGE and ASKA

CHAGE and ASKAの96年4月に発売になったアルバム『CODE NAME.2 SISTER MOON』の中に入ってました。詞曲はCHAGEさんですね。CHAGEさんのキャリアの中で、これが一番好きですね。最高傑作だと思います。NとLというのは、西鉄ライオンズと南海ホークス。西鉄ライオンズと南海ホークスの対戦はパ・リーグファンにとっては最高のカードだったんですよ。僕は西鉄ファンだったんですけど(笑)。

CHAGE and ASKAは92年93年94年、ワールドミュージックアワードをアジア代表で3年連続で受賞しました。さらに、ハリウッド映画『ストリートファイター』のエンディングテーマもありましたね。94年からアジアツアーですよ。一緒に行きました。96年、アジアミュージシャンで初めてMTVアンプラグド、これをロンドンでやったんですね。これも取材で見に行きました。オリンピックの日本選手を応援するみたいな気分でスタジオで見ておりました。チャカ・カーンとかボーイ・ジョージとかいろんなアーティストが参加したトリビュートアルバムも出てるんですよ。そういう中でそれぞれのソロ活動も行っているという時期でした。

Rolling Stone Japan 編集部

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