続・J-POPの歴史「バンドからソロへ、音楽業界が盛り上がり続けていった1996年と97年」



96年12月発売、猿岩石の「白い雲のように」。作詞が藤井フミヤさんで、作曲が藤井尚之さん。チェッカーズの兄弟ですね。97年の年間チャート11位です。バラエティーに出てる人たちのヒット曲としては、H Jungle with tの「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント〜」。あれはTKが参加してました。でも純粋な曲の提供という意味では、この藤井兄弟の傑作として残るでしょうね。こんなにいい曲だったっけ?と思ったのは、2013年にMay J.とクリス・ハートがこれ歌ったんですよ。そのときに、これこんなにいい曲だっけ!?と思って改めて聴き直したりもしました。

猿岩石は『進め電波少年』のヒッチハイクで人気になりました。80年代にもそういう若者たちの海外志向というのがあって、そのバイブルは沢木耕太郎さんの『深夜特急』だったんですが、90年代が『進め電波少年』だったのかもしれません。でもネットがなかったから、ああいう旅がロマンチックに見えたんでしょうね。今はどこで何をやってるとか、そこがどんな場所かって全部ネットでわかっちゃいますから、そういう旅のロマンっていうのはなくなったんではないでしょうか? 

今日最後の曲は、90年代を牽引したバンドが97年の大晦日に解散しました。そのときのライブからお聴きいただきます。



97年12月31日、東京ドーム、X JAPANの解散コンサートのライブアルバム『The Last Live~最後の夜~』から「紅-THE LAST LIVE-」。記憶がかなり曖昧になってるんですけど、花道でTOSHIとYOSHIKIがとってもいい笑顔をしていたなって記憶があるんですが、X JAPANのメジャーデビュー、89年アルバムが『BLUE BLOOD』。キャッチフレーズが「メジャーを変えろ」でしたね。

インディーズ時代に彼らはエクスタシーレコードを設立して、そっからメジャーに乗り込んできたわけですけど、エクスタシーレコードがその後のLUNA SEAとかGLAYに繋がっていった。それは先週までにお話した事でもあります。クラシックピアノとツーバス。これは他のバンドにはない音楽性ですね。初めて見たのが渋谷公会堂なんですけど、渋谷公会堂の横の通路にクレーンが置いてあって、そのクレーンが渋公の屋根を突き破って水があふれてきたんですよ。このバンドにはそういうのがよく似合ってるなと思った記憶があります。

その後、ソニーマガジンンズから「Xの本書きませんか?」って言われて、「いや僕いいです」と遠慮しちゃったことがあって失敗したかなと思った記憶があります(笑)。97年3月、同じ東京ドームでですね、ツアーファイナル。「REGRESS OR PROGRESS」のファイナルを行ったMr.Childrenも活動休止に入りました。そして98年に「終わりなき旅」で活動を再開します。これは来週の話です。

Rolling Stone Japan 編集部

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