50年前の未解決事件、音楽フェス目指しヒッチハイクの旅に出た高校生は今どこへ? 米

1973年、眼鏡をかけた童顔の青年ミッチェル・ウィーザーさんはブルックリンのグレーブセンド地区ジョン・デューイ高校の2年生で、才能にあふれる人気者だった。

身長5フィート7インチ、体重140ポンドのウィーザーさんは、長髪を真ん中で分けてポニーテールに結んでいた。栗色の瞳の上に、大ぶりの金縁眼鏡をかけていた。写真とボニーさんと野球が大好きで、グレイトフル・デッドの大ファンだった――バンドの楽曲にちなんで愛犬を「ケイシー・ジョーンズ」と名付けたほどだ。友人からは、向こう見ずで少し反逆児とみられていた。1歳年下の恋人ボニーさんとはジョン・デューイ高校で知り合った。

「非凡な才能の持ち主でした」と言う姉のウィーザー・リーブゴットさんは、今でも弟の遺物を収めた段ボール箱を保管している。1969年にメッツがワールドシリーズに出場した試合のチケットの半券、1964~65年に行われたニューヨーク万博博覧会でお土産にもらったトレーディングカード、使い古しのべっ甲の眼鏡、自作の詩、15歳の誕生日に友人が開いたパーティで贈られた巨大なバースデーカードなどが収められている。

サマージャムの噂を聞いて興奮したミッチェルさんは、高校の友人ラリー・マリオンさんと一緒に行くことにした。「当初の計画では、ワトキンズ・グレンに一緒に行くのはボニーではなく、僕だったんです」とマリオンさん。「僕が2人分のチケットを買ったんですから」。

だが、息子の身を案じたマリオンさんの母親が反対した。ミッチェルさんの母親シャーリーさんも行かないでと懇願した。「ヒッチハイクしなくて済むよう、もっとお小遣いを渡せばよかった」と、母親は1998年のインタビューで語っている。「有り金はたったの25ドル。それでも息子は家を飛び出していきました」(ミッチェルさんとボニーさんの両親はどちらもすでに他界している)。

ミッチェルさんは25ドルをナロウズバーグ行きのバス代と、キャンプ場までのタクシー代に充てた。ウィーザー・リーブゴットさんは弟がキャンプ場に到着したのを電話で確認したので、現地に着いたのは確かだという。「弟があそこに着いて、あそこから出発したのは確かです」


ミッチェルさんとボニーさん(WWW.MITCHELANDBONNIE.COM)

家族と友人は、2人が駆け落ちしたかもしれないという説をずっと否定してきた。「ありえません」と、ボニーさんの友人ミシェル・フェスタさんは言う。「2人が駆け落ちしたなんて、絶対考えられません。お互いの家族や友人ともすごく仲がよかったんですから」。

「100%確信を持って言えます。2人が駆け落ちだとか、コンサートに行って家に帰る以外の計画を立てていたはずはありません」とマリオンさんも賛同した。「ミッチは月曜には戻ってくると言っていましたし、あんなに気立てのいい人間が人を裏切ったりだましたりするはずがない」。

一方そのころ、およそ100マイル北にいたボニーさんは、コンサートに行くために週末休みをとることについて上司ともめていた。

身長4フィート11インチ、体重90ポンドのボニーさんは愛らしくて聡明だったが、時に頑固で一度決めたら動かないところもあった。茶色い髪を長くのばし、そばかす顔で、夏のバイトをする何年も前からウェルメット・キャンプ場の常連だったとケイゲンさんは振り返る。

ボニーさんはいつも成績優秀な生徒のクラスだった。地元の高校に進学する代わりに、新設された実験的なジョン・デューイ高校に興味を示した。「人から聞いたり新聞で読んだりした内容が気に入って、校長に手紙で入学を直談判しました」とケイゲンさん。「入学を認められた時はすごく喜んでいましたよ。校長も彼女の手紙を額装していました」。

フェスタさんの話では、ボニーさんは自由な精神の持ち主で気立てがよく、音楽を愛し、とくにオールマン・ブラザーズの大ファンだった。「私たちはいつも一緒でした。彼女の家でお菓子を焼いたり、YWCAで卓球したりしました」とフェスタさん。ボニーさんとミッチェルさんはフェスタさんの16歳の誕生日パーティにも出席した――ミッチェルさんは非公式のカメラマンを務めた。「ボニーは背中に翼があるかのようにダンスフロアを駆けまわり、みんなを笑わせていました」とフェスタさんは振り返る。

「ボニーと一緒にワトキンズ・グレンのロックコンサートに行こうとミッチェルがキャンプ場に現れると、彼女は週末休ませて欲しいと頼みましたが、キャンプ場から断られました」とケイゲンさん。それでボニーはバイトを辞め、ミッチェルさんと旅立った。出発前、ボニーさんはコンサートが終わったら服と給料を取りにくると上司に伝えた。

カルテンさんは、コンサートに向かう前日の消印が押された手紙をボニーさんから受け取っていたそうだ。「手紙には、孤独で、退屈で、仕事を辞めたいと書いてありました」とカルテンさん。「『追伸:そっちのキャンプ場で人を探してない? 聞いてみて』」。

7月27日の朝、2人はコンサートのチケットを手に、155マイル北西のコンサートを目指して出発した。2人ともブルージーンズにTシャツ姿で、ミッチェルさんは高価なカメラを携え、グレーとオリーブグリーンのフラネル織りのシャツを持参した。最後に2人が目撃されたのは、ウェルメット・キャンプ場を貫く70マイルの州間道路97号線で、ヒッチハイクしている姿だった。1台のトラックが2人を乗せた。しばらく走った後、2人は車から降りて運転手に礼を言った。わかっている限り、最後に2人の姿を見たのはその運転手だった。

Akiko Kato

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