50年前の未解決事件、音楽フェス目指しヒッチハイクの旅に出た高校生は今どこへ? 米

2013年、すでに40年が経過した未解決事件を引き継いだサリバン郡のサイラス・バーンズ刑事は、フロリダ州の51歳女性から思いがけない電話を受けた。

その女性はワトキンズ・グレンから約20マイル離れたウェインという町で、両親やきょうだいと生まれ育った。その女性は、父親がミッチェルさん殺害に関与しているようだとバーンズ刑事に語った。

その女性は11歳の時、父親と地元のレストランに行き、そこでテーブルに座っていた1人の青年に近づいて名前を訊いたと警察に語った。青年はミッチェルと名乗った。女性の記憶では、その青年は落ち着かなそうにソワソワしていた。

女性からの情報を得て、バーンズ刑事は州警察とストゥーベン郡保安官事務所に捜査協力を要請した。また女性の話の裏を取るために、掘削器具とソナー、死体発見犬も要請した。

ストゥーベン郡保安官事務所のドン・ルイス捜査官は、女性の情報が「細部にわたっていた」とローリングストーン誌に語った。また女性の話では、他の子どもと一緒に父親や他の男性から性的虐待を受けていたそうだ。

「彼女の話は相当はっきりしていました」とルイス捜査官は言い、父親が当時「重要参考人」に上がっていたと付け加えた。州と郡の合同捜索班がウェインの2カ所で掘り起こし作業を行った。ひとつは近くにある一家の小屋、もうひとつは民家と隣接したニューヨーク州電気ガス(NYSEG)発電所の廃屋だった。

隣人のサラ・ソーンダーズさんは2013年10月のその日、ドアをノックした捜査官が裏庭を掘らせてほしいと頼んだ時のことを覚えていた。「具体的なことは言いませんでしたね。『いや、失踪人を調査しているだけですよ』 うちの裏は若者がよくたむろしていた場所で、『無人地帯』と呼んでいましたが、捜査官はそこを掘り起こしました」。

ちょうど同時期、両親と祖母を亡くしたソーンダーズさんは霊媒師に見てもらっていた。「突然、『家の近くに死体はありますか?』と訊かれました。椅子から転げ落ちそうになりましたよ。でも霊媒師はこう言うんです、『でも大丈夫。悪い霊じゃないから。あなたを傷つけたり、怖がらせるためにいるわけじゃないわ』とね。そりゃあもうびっくりしました」。

その後ソーンダーズさんは、13年前にウェインの頭文字Wの幻影を視たという霊能力者シックラー氏の話を知った。彼女はすっかり驚いた。「私もウェインの町の住民ですから」。ニューヨーク州警察E班とストゥーベン郡保安官事務所の協力のもと、バーンズ刑事は捜索を行ったが、掘り起こし作業からは何も見つからなかった。

バーンズ刑事は女性の父親を容疑者として事情聴取しようと考えたが、弁護士に回された。「事情聴取をしようと思っても、物的証拠が揃っていない限り時間の無駄です。開口一番に『弁護士をつけてくれ』と言われるのがおちですから」とは、『The Vanished』でのバーンズ氏の発言だ。

事件から40年後に、例の女性が2人の失踪をどうやって知ったのか、サリバン郡保安官事務所の連絡先をどうやって知ったのかは謎のままだ。


木の根元に設置された記念石(WWW.MITCHELANDBONNIE.COM)

2000年にスミスさんの話を信じた州警察の2人の捜査官は溺死と判断したが、バーンズ氏はとうにこの説を却下していた。「全部でっち上げだったと思います」と、2016年にバーンズ刑事は語っている。「2人が溺死したとかなんとか言ったんでしょうが、彼は海軍にいたんですよ。筋が通りません……その後ペンシルベニア方面に行き、彼は車を降りて、運転手が通報するだろうと思い込んだ。まるでつじつまが合いません。しかも死体はひとつも上がっていない」。

バーンズ刑事の発言を最近になって知ったストリーヴァー氏は驚いていた。バーンズ刑事から何の連絡もなかったからだ(今回の記事でバーンズ刑事に何度も取材を申請したが、返答はなかった)。にもかかわらず、引退した州警察の捜査官は(うそ発見器の専門家で、地元のブルーグラスバンドのギタリストでもある)一貫して自説を主張した。

「名乗り出たところで、アラン・スミスさんには何の得もありませんでした」とストリーヴァー氏。「注目を浴びたいとも思っていませんでした。ただ番組を見て、驚いただけです。ボニーさんとミッチさんの写真を見て、彼らだと100%確信していました」。それでも死体を回収できていないので、「つねに疑問の余地は残りますがね」。

フロリダから通報し、ウェインの掘り起こし作業のきっかけを作った女性は現在61歳。今回の記事で取材に応じることはなく、一家も名前を伏せてほしいと要請した。父親も今回の事件に関して一切起訴されていなかったことから(昨年他界)、ローリングストーン氏も一家の要請を尊重した。

18カ月前、事件はサリバン郡のジャック・ハーブ刑事に引き継がれた。ハーブ刑事にもたびたび取材を申請したが返答はなく、開示を要求した報告書も提供されていない。ミッチェルさんの姉の話では、情報を公開するとメディアがすぐに反応し、追跡や捜査に追われることになるので取材には協力したくない、とハーブ刑事に言われたそうだ。

警察関係者、行方不明者の捜索に詳しい専門家、ミッチェルさんとボニーさんの友人は、サリバン郡の消極的な態度に面食らっている。1973年の事件発生当時の初動がいやがおうにも思い出される。50年目の節目が、2人の情報につながるかもしれない人々の記憶を呼び起こす最後のチャンスだと、誰もが口を揃えている。

「このような事件では、協力こそが最善の方法です」とジョーンズ氏は言う。「とりわけ50年もの年月を経た事件では当然です。メディアの取材に答えたところで、何を失うというのでしょう?」。

「個人的には、情報を開示することに大賛成です」と、ニューヨーク州警察E班のジョン・ストゥーブ捜査官も同じ意見だ。

NCMECも、未解決事件の解明にメディアが強力なツールであるという。「メディアは事件を活かし続けます」とカン-ソーファー氏は言う。「1人の人間の観察や情報から、道が開けることがあるのです」。

失踪した2人に関する「数百ページもの情報」があると言いながら、警察は「機密情報および未成年者の個人情報」を理由に詳細を明かそうとしない。生きていればミッチェルさんは現在66歳、ボニーさんは65歳だ。NCMECの広報担当者レベッカ・スタインバック氏は、その後資料に関する質問をすべてサリバン郡保安官事務所に問い合わせた。警察から最後に連絡があった時期については明かさなかった。

Akiko Kato

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