50年前の未解決事件、音楽フェス目指しヒッチハイクの旅に出た高校生は今どこへ? 米

キルガロン刑事が「100万に1の奇跡」と呼んだ通話の後、州警察の捜査官2人がスミスさんの話の裏取りに乗り出した。ストリーヴァー氏はスミスさんが自腹でニューヨーク州まで来た捜査に協力した点を力説した。「1日かけて可能性のある橋をくまなく探しました……彼が橋の構造をはっきり覚えていたからです」とストリーヴァー氏はローリングストーン誌に語った。「橋にたどり着くと、彼はあきらかにがっかりした様子で『これじゃない』と答えたものです」。

キルガロン刑事はスミスさんの旧友に事情聴取し、1973年にサマージャムから戻ったスミスさんが溺死について話していたことを確認した(キルガロン刑事は2010年に他界)。結局、刑事はスミスさんの話を信じた。「誰もが同じ結論に達したと思います」と、当時キルガロン刑事は語っている。

「スミス氏は信頼できる証人だと判断しました」とストリーヴァー氏も同意した(スミスさんにコンタクトしようと何度もトライしたが、見つからなかった)。

ようやく家族や友人が望んでいた事件の突破口が開けた。

本当にそうだろうか?

やはり大きな落とし穴があった。死体が上がらなかったのだ。

溺死の場合、死体には数日かけてガスが溜まり、水面に押し上げられる。だが場合によっては、何かにひっかかって水中に沈んだままという場合もある。「死体がごみにひっかかって水面に上がってこなかった可能性もあります」というのは、ニューヨーク州警察潜水捜索班に所属する22歳のケヴィン・ガードナー元軍曹だ。同氏の説明によると、死体が2体とも上がってこないのは珍しいが、ありえない話ではないという。また遺体が他の州に流されて、身元不明の死体として扱われた可能性もあるそうだ。「水流で死体がかなり遠くまで流されることもあります。大雨になるとサスケハナ川の流れは早くなりますしね」とガードナー氏は言った。

2000年、ストリーヴァー捜査官とキルガロン刑事はサスケハナ川沿いに位置する3つの郡の検視局に身元不明の死体がないか確認したが、結果は空振りだった。サスケハナ川が流れる渓谷には他にも63の郡があったが、確認されずじまいだった。「身元が確認できそうな死体がないと、完全に区切りをつけることはできません」とストリーヴァー氏も認めた。

スミスさんの話に対する反応は2つに割れた。ボニーさんの母親と姉は、心の平穏と気持ちの整理がついた語った。「これで区切りをつけることにします」と当時ケイゲンさんは語った。だがミッチェルさんの姉と友人は、はっきりしない点がたくさん残っているとして納得しなかった。たとえば、フォルクスワーゲンのワゴン車を運転していた謎の運転手探しだ。「多少疑念が残っています。確認したい点もいくつかあります」と当時マリオンさんは語っている。

スミスさんの話の裏取りについても、まだ作業は残っていた。スミスさんはいまだうそ発見器にかけられていなかった――スミスさんが捜査に協力的だったので、ストリーヴァー氏はすぐにうそ発見器にかけることはしたくなかったのだ。沿岸の郡検視局に確認する作業も残っていた。また同じころ、連続殺人犯のハッデン・クラークが2人を殺害したと自供するなど、時期には別の説も浮上していた(警察は即座に自供を退けた)。

だがスミスさんの話の裏どり作業が行われるのを前に、ハイジャックされた2機の飛行機がワールドトレードセンターに突っ込んだ。3000人のニューヨーク市民が命を落とし、全米が緊急事態となった。ストリーヴァー捜査官とキルガロン刑事は異動になった。ミッチェルさんとボニーさんの事件は再びお蔵入りとなった。

Akiko Kato

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