有元キイチが語る、生死の境界線、地元・多摩の原風景と向き合い生み出した金字塔

──資料には「原風景となった記憶と向き合っている」という記載がありますが、生まれ育った多摩でのルーツが楽曲に反映されている感覚はありますか?

有元:ありますね。もともとあったんですけど、自分のソロとして作ったことでより強くなった気がします。土地の感じが色濃く入ってるのかなって。

──多摩は、どのような土地柄の場所なんでしょう。

有元:都会にあるものはなんでもあるんですが、これといって特筆すべき何かがないというか。それは、東京に来ていろんなミュージシャンと喋ったりして、より感じたところでもあります。ソウルフルな温かさがある場所でもなくて、独特な感じ。『耳をすませば』のイメージ元となった聖蹟桜ヶ丘とかジブリっぽい感じもあったり、僕は多摩のスタジオでODDメンバーとも知り合ったり、本当にそのあたりで育ったんです。

──キイチさんは、どのようにして音楽をプレイする場所にたどり着いたんでしょう。

有元:ライブハウスがあったんですよね。LOOSE VOXというところなんですけど、すっごい音楽好きな人が多くて。そこで、小さい頃にライブをさせてもらったんです。そこはセッションの文化があって、ギターアンプを並べて、自分より2回り、3回りくらい年上の人に囲まれてギターソロを弾けみたいに言われて。それが中学生か小学生ぐらいだったんですけど、そこでギターを鳴らした瞬間に、自分の思い通りに音楽って作っていいんだ!みたいな電流が流れたというか。型にハマってないものを自分から提示するのが最初は怖かったんですけど、すごく楽しかった思い出があって。そこのマスターは松田優作の「YOKOHAMA HONKY TONK BLUES」を絶対に最後に演奏して終わるという面白い場所でもありました。

──キイチさんの音楽人生は、いきなりセッションからスタートしたんですね。

有元:スリーピースのバンドで、ハウスバンドみたいな形で月1でライブをしていましたね。オープニングアクトだったんですけど、子供がロックをやっているのが面白かったんでしょうね。すごく覚えているのが、初ライブしたとき友達も呼んでいたんですけど、次も来てよって言ったら、「1500円のコーラは飲めない」って言われて。いくらのコーラなら飲ませていいのかなみたいな、今でもライブするたびにその話を思い出したりするんです(笑)。

──ドリンク付きでチケット1500円のことを、そのように表現していたと。

有元:そう。自分はめちゃくちゃ格好いいことをしてるでしょ?ってだけだったんですけど、友達からすると高いコーラを飲む場所だったんだなって(笑)。

──リスナーとしての音楽ルーツはどういうところにあるんでしょう?

有元:ゆらゆら帝国はルーツだと思っています。小さい頃、ギターを練習するとともに、ずっと聴いてコピーしていたんです。「発光体」とか「ラメのパンタロン」とか。

──他によく聴いてた音楽はありますか?

有元:聴いてきた音楽はすごく多いと思います。今も昔も好きなのはユーミン。小さい頃から聴いていましたね。ジョン・レノンも親がピアノで「イマジン」をよく弾いていて、好きでしたね。大学はジャズ研に入ったんですけど、コンテンポラリー系のジャズが好きで。カート・ローゼンウィンケルのアルバムを聴いたり。今はSamphaとかよく聴いてます。

──ODDのメンバーとはスタジオで出会ったっておっしゃってましたけど、ODDはどのようにスタートしたんでしょう。

有元:僕が別のバンドで練習してて、Pecoriがまた別のユニットでスタジオで練習していて。そこのスタジオの舟木さんっていう店員さんが、2人おもろいみたいな感じで知り合わせてくれて始まりました。そのとき僕は曲を作ったことがなくて。どちらかというとギタリストとして生きていたんですけど、DAWとかで作曲できる環境がより手に入りやすくなった時期で。その時にバーっとODDの最初のアルバムの曲を作り始めたんです。その時は、打ち込んで、ジャズ研の部室に行って管楽器録音したり、キーボードを録ったりしていましたね。

──多摩出身っぽい雰囲気っていうのは、どういう部分に感じてますか?

有元:外に出てきた時の疎外感というか。東京の例えば、じゃあ世田谷区で生まれ育った人とかには及ばないし、かと言って全く東京じゃない人とも話が合わない。っていう感じなのかな。でも、いいミュージシャンは多い気がしますね。

Rolling Stone Japan 編集部

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