狙撃の名手だった米海兵隊員、「サイコパスの元夫」が義父を殺した理由

The Roanoke Times

米・海兵隊員マイケル・ブラウンが2019年11月、義父であるロドニー・ブラウンを殺害した。同事件が投げかける精神疾患と刑事司法制度への疑問について迫る。

【写真を見る】粉々に破壊されたキャンピングカー、この中に犯人は潜伏していた

その男は木陰に隠れ、ベージュ色の小さな家と向かい合わせに立っていた。長身で、髪を短く刈り揃え、いかにも数週間前に脱走するまで海兵隊という風情だった。黒い覆面で顔を覆い、カモフラージュのつなぎを着て、300口径の黒塗りライフルと22口径の拳銃を手にしていた。

ブルーリッジ山脈に囲まれたバージニア州ハーディは、春にはハナミズキが咲きほこり、夏にはネオンカラーのベルベットで覆われたかのように青々とした丘が広がる。だがこの日は2019年11月9日で、木々の葉はすべて落ちていた。

家の所有者ロドニー・ブラウンは前の晩、内縁の妻ヴァネッサ・ハンソンと一緒にピザを食べて過ごした。翌朝ヴァネッサが『Scare Tactics』という番組を見ていると、ロドニーが車の不凍液をチェックしに外に出た。

覆面の男が待っていたのはまさにこの瞬間だった。男は木立から姿を現すと、ライフルでロドニーを背後から数回発砲した。ロドニーは家に向かって駆け出し、戸口までたどり着いたものの、後から追いついた男は拳銃でロドニーの頭に1発発砲した。

一連の発砲音は家の中にいたヴァネッサの耳にも届いた。とっさに、ロドニーが『Scare Tactics』まがいのいたずらをしているのだろうと思った。だが外に出ると、狂気の沙汰ともいうような光景が飛び込んできた。拳銃を握った覆面の男が、ぐったりしたロドニーのほうに歩み寄って来るところだった。一瞬のうちにヴァネッサは家の中に駆け込み、30分ほど離れたロアノーク市に住む母親のダイアン・ハンソンに電話をかけた。だがダイアンが電話に出ると、のちに捜査官も理解に苦しむ出来事が起きた――ヴァネッサは事件について一切口にせず、ロドニーと喧嘩した、これから朝食をとるところだと言った。だがそれからしばらくしてヴァネッサは泣きながらまた電話をかけ、電話を切り、また電話をかけるということを繰り返した。ダイアンは娘を迎えに行こうと車に飛び乗った。運転中に電話するとヴァネッサはヒステリー状態で、ロドニーが死んだとわめいていた。ダイアンは緊急通報した。警察よりも先に家に到着したダイアンは、そこでもまた緊急通報した。この時背後ではヴァネッサの叫び声が聞こえていた。

その頃には男はすでに姿を消し、大きな謎を残していった。男の正体やヴァネッサとの関係はすぐに明るみになったが、犯行に及んだ動機の解明を進めるうちに、なんとも物騒な新事実にたどり着いた。あまりの不可解さゆえ、超常的な説明に飛びつく者もいた。筆者も昨年夏に男と3時間電話で取材したが、当の本人でさえ何が起きたのか理解に苦しんでいた。「自分の性格では絶対ありえないような行動だったので、ひょっとしたら自分は二重人格なのかもしれないと思った」と本人。事件当夜の出来事については一切覚えていないという。

「精神状態の錯乱」――メリアム・ウェブスター辞書は「心神喪失」をこう定義している――は、ある種の暴力犯罪の必要条件と見られる場合もある。実際のところ、州立刑務所の受刑囚のうち9%が精神異常を抱えている(2016年の司法省の報告書より)。だが心神喪失が正当防衛の理由として認められることはほとんどない。「世間を騒がせた裁判もご存じでしょう。ですがごくまれなケースで、たいていは認められません」と語るのは、2022年にロドニー殺害犯の精神鑑定を行った個人開業の犯罪精神科医、ユージン・シモポロス氏だ。全米精神疾患担当医協会によると、2014年時点で心神喪失を理由に無罪が認められ、精神病棟に収容されたのはわずか7000人前後(一方、全米受刑囚の人口は120万人を超える)。しばしば引き合いに出される研究によると、心神喪失の抗弁が申し立てられるケースは重罪犯罪の1%に過ぎず、そのうち実際に認められるのはわずか1/4だ。


ロドニー・ブラウンが射殺されたバージニア州の自宅(FRANKLIN COUNTY SHERIFF’S OFFICE)

多くの場合、心神喪失の抗弁には精神病が絡んでいる。今回の事件には異様な点が多々あるが、めったにお目にかからない心神喪失の抗弁が裁判で申し立てられた点もその1つだ。それも解離性健忘という珍しい症例で、絶対にありえないような結末を迎えた。すなわち、犯人側が勝訴したのだ。こうした結末の中核にあるのは、答えの見つからない数々の疑問。すなわち、我々は他人の心の状態をどれほど知りうることができるのか? 誰を救済し、誰を裁くべきなのか? 男の弁護も、暗にこうした考えに基づいている。1人の人間は暴力的な加害者にも、救済が必要な被害者にもなりうるのだ。我々は慈悲の手をどこまで差し伸べればいいのだろう? ヴァンダービルト法律学校のクリストファー・スロボギン教授は「心神喪失の抗弁を教訓劇ととらえる人もいます」と語る。「犯罪や犯罪者に対する住民の考えを表現する手段だと」。

Akiko Kato

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE