笠置シヅ子&服部良一特集、刑部芳則が語る戦前のブギ、「東京ブギウギ」



田家:昭和14年、1939年12月発売。

刑部:私はこれ、戦前の笠置さんの曲の中で一番好きな曲なんですよね。

田家:これは服部良一さんと笠置シヅ子さんの出会いの曲。これはもうドラマの中にいろいろなストーリーとともに紹介されていましたが。

刑部:笠置さんがもともと大阪の松竹少女歌劇団の方にいたんですけども、昭和12年に東京浅草劇場の国際大阪踊りというのに参加しまして。翌年の13年に帝国劇場で松竹歌劇団というのが旗揚げ公演になるという形になって、移ってくるんですね。そのときに服部良一さんはちょうど東京日日新聞が主催していた日中戦争の招聘の慰問報道団という形で中国にでかけていたんですけども、そこから帰ってきましてそのタイミングなんです。そこで音楽の担当をしてくれないかという形で、ここに関わることになるんですよ。そこで笠置さんと服部さんが初めて出会うことになって、こういった曲を歌うことになるっていうことなんですよね。

田家:浅草劇場で国際大阪踊りっていうのがあったんだなと思いましたけど。

刑部:これは言ってみれば大阪の松竹少女歌劇団なんかが参加する形になりまして、通常では東京浅草劇場では観れないものが観れるという形で、大阪踊りという形でやったんですよね。

田家:松竹歌劇団がやっていたステージっていうのは所謂レビューみたいなものになるんですかね。

刑部:そうですよね。音楽を使った踊りを中心にした劇というか、形ですよね。

田家:集団劇みたいな。こういうスウィングしている曲、ここまで自由に歌ったりする曲はなかったんですかね。

刑部:ないですよね。それまではどちらかと言うと1曲目に聴いていただいた「恋のステップ」みたいなレビューっていうのが多かったんですけど、服部さんが来たことによってジャズを非常に活かしたアップテンポな曲がここで出てくるって形ですよね。

田家:なるほど。三笠静子さんの曲は服部良一さんじゃないんですもんね。

刑部:そうですそうです。レイモンド服部ですからね。

田家:その頃はスウィングも、もちろんこのときにはまだブギにもなっていないという。

刑部:そうですね。それから歌い方が「恋のステップ」のときは音楽学校かなんかで正統だと言われていたような西洋式の発声方法というような形でやっていたんだと思うんですけど、服部さんと出会ったことによって服部さんが笠置さんの魅力は地声だと。無理して高い声で発声をするのではなくて、地声を活かしたような形で歌ってはどうかという形でアドバイスをして。それでこの「ラッパと娘」を歌っているんですよね。

田家:今日の3曲目です。これもおなじみの曲になりました。「センチメンタル・ダイナ」。

Rolling Stone Japan 編集部

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