笠置シヅ子&服部良一特集、刑部芳則が語る戦前のブギ、「東京ブギウギ」



田家:1940年3月発売。この曲もお茶の間でおなじみになりました。作詞が野川香文さん、作曲が服部良一さん、野川香文さんはジャズ評論家なんでしょう?

刑部:そうですね。服部さんの「雨のブルース」淡谷のり子さんのを作詞した人ですよね。

田家:この曲で思われるのはどういうことですか?

刑部:最初聴いたとき、服部良一の作曲だと思わなかったんですね。アメリカ人が作曲したかと思っていたんですよ。なんでかと言うと、セントルイス・ブルースを聴いたときのように感じるんですよね。最初のところをブルースのような形で、このままずっとこれはいくのかなみたいな。ラッパと娘と変えているのかなと思ったんですけどサビの部分のセンチメンタル・ダイナって来るところで転調してものすごいジャズになってくる。ここがすごい魅力だなと思うんですよね。

田家:発売になった1940年、昭和15年というのもいろいろなことがあった年だったんだなと思ったのですが、敵姓の追放というのがこのときなんですね。

刑部:芸能人なんかの名前をカタカナ名を変えたりというふうな形で出てくる頃ですよね。

田家:デイック・ミネさんとかバッキー白片さんとか名前を変えざるをえなかった。ナチス・ドイツがパリを総攻撃して、日本は重機を爆撃したという戦争の匂いがプンプンという。

刑部:そうですね。この年に日本はドイツ、イタリアと三国軍事同盟を結びますよね。そして大政翼賛会なんかが発足されたり、日本国内で新体制と呼ばれるような形になってくるんですよね。昭和15年って非常に映画と流行歌全般にヒット曲がすごく輝いているんですけど、逆に言うとこの年が戦前最後なんですよね。

田家:贅沢は敵だというのも、この年に標語になった。笠置さんも発売禁止になったシングルがあるんですってね。

刑部:「ホット・チャイナ」という曲がありまして、これはもう片面の方が「タリナイ・ソング」という服部さんが作った曲なんですけど、ものが足りないとか、何ができないというようなことを歌った。言ってみれば贅沢は敵だというのに反抗するような内容に内務省は受け取ったんだと思うんですよね。当時、レコードは内務省が検閲していましたから。それでそれが発売禁止という形になることによって、言ってみればもらい事故ですよね。「ホット・チャイナ」はなんでもなかったんですけど、結局レコードプレスでカップリングですから売れなくなっちゃったということなんです。

田家:笠置さんも引っ張られたりしたわけでしょう? 警察に。

刑部:歌い方がよろしくないと。三尺四方からはみ出て歌うなというような形を言われたみたいですよ。

田家:戦争中に服部良一さんは何をしていたのかというのは、3、4週目にお訊きしようと思っているのですが、そういう中でこの曲が誕生したと思っていただけるとうれしいです。

Rolling Stone Japan 編集部

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