笠置シヅ子&服部良一特集、刑部芳則が語る戦前のブギ、「東京ブギウギ」



田家:昭和24年、1949年12月発売。大阪で初めて披露された「東京ブギウギ」が全国を席巻して、いろいろな町の名前がついたブギが誕生した中の1曲。名古屋というのは笠置シヅ子さんにとっても物語のある町なんですよね。

刑部:そうですね。笠置さんがお付き合いすることになる方がいるんですけど。

田家:戦争中。

刑部:ええ。吉本興業の息子さんで、吉本穎右さんという方がいるんですけど、たまたま名古屋に舞台を笠置さんが観に行ったときに、その楽屋に挨拶かなにかに行ったときに1人の凛々しい端正な顔立ちの青年がいた。それが穎右さんだったみたいですね。笠置さんは非常にそれで惹かれたみたいなんですけど、お互いに大阪出身で東京で仕事をしていたものですから。不慣れな土地で心細い、戦争中でということで2人がだんだんと心惹かれるという形でお付き合いする形になるんですよね。ところが終戦後、昭和22年ですか。この穎右さんは結核を患って、それが非常に悪くなってお亡くなりになっちゃうんですよね。亡くなった後、笠置さん1人の娘さんをお産みになる。言ってみればシングルマザーになるわけですよね。服部さんなんかは東京ブギを作ったというもう1つの理由には笠置さんを励まそうと、もう1回奮起して頑張ってもらおうという意味でも作ったみたいですね。

田家:2枚組のアルバム『笠置シヅ子の世界』Disc1がブギウギ編ということで、ブギウギの曲がたくさん選ばれていますが、「さくらブギウギ」、「博多ブギウギ」、「北海ブギウギ」、「大阪ブギウギ」、その中に「名古屋ブギウギ」もある。これだけいろいろなところの地名を作るくらいに全国的に支持されていた?

刑部:「東京ブギウギ」が作られて、戦後復興ということで復興の博覧会みたいなイベントが行われたりしまして。そうしたときに昔であれば音頭とか、なになに行進曲とかというようなものが作られたんですけど、やっぱりブギだろうということで。それで頼んでくるという流れも当時あったみたいですね。

田家:昔は音頭だったものがブギになって、みんな音楽で楽しく過ごそうよというふうになっていった。ブギウギは戦後復興の庶民の音楽だったということですね。

刑部:そうですね。やっぱり新しい終戦直後、戦後復興のテーマソングと言っても過言ではないかなと思いますよね。

田家:そういうブギウギをシングルマザーが歌っていた。このへんもいろいろなストーリーがありそうですね。6曲目。昭和23年1948年4月に発売になった「ヘイヘイブギー」。



田家:作詞が藤浦洸さんで作曲が服部良一さん。藤浦洸さんは子どもの頃、テレビの『私の秘密』とかで顔を見せたことがありましたけども。この方もいろいろな詞を書かれていますよね。

刑部:そうですね。服部良一とは名コンビという感じですね。

田家:淡谷のり子さんの「別れのブルース」とかもひばりさんも書いてるんでしょう。「悲しき口笛」とか「東京キッド」とか。

刑部:服部さんの曲ではないですけどね。

田家:ないですけどね、ええ。藤浦洸さんは昭和歌謡史の中ではかなり重要な作詞家?

刑部:藤浦さんは他の作詞家と違って、楽譜が読めるんですよね。だからそこが服部さんにとってはよかったんだと思うんですよね。リズムのあるところに乗せられるような。この曲の中の1つのポイントがラッキーカムカムっていうフレーズが出てきますけど、そういった隠語というリズムに乗せる言葉というのを服部さんと藤浦さんは模索して考えていたと言いますよね。その1つがラッキーカムカムという言葉だったみたいですよ。

田家:まだそんなに横文字の歌自体がない時代ですもんね。こういうカタカナの歌謡曲ってどのくらいあったんだろうと、今ふと思ったりしましたけども。

刑部:やっぱり戦前は少ないですよね。戦後になってから、特に進駐軍が来てブルース、ブギとか一連の新しいタンゴだとか曲がどんどん来ることによって、日本の歌謡曲にも服部さんを中心として他の作詞作曲家もこういう曲を生み出していく形になっていきますよね。

田家:昭和20年代って陽気な歌が多かったですもんね。

刑部:それだけ暮らしがまだ配給制度が続いているし、おいしいものを食べたいとか、そういう欲求を満たしてくれるのが歌だったような気もしますよね。

田家:「東京ブギウギ」の作詞家は鈴木勝さん。この方もかなりいろいろな背景がある方なんでしょう?

刑部:そうですね。この人はお父さんが大変有名なんですよね。仏教哲学者で鈴木大拙という。養子で実の子どもではないんですけども、上海の報道部なんかでもともと記者の活動をしていたのでそこで服部さんと知り合うという形で。

田家:2人とも中国での体験があって、服部さんの『ぼくの音楽人生』という本の中に、新しいリズムには新しい作詞家がいいということで鈴木さんを器用したとありましたね。

刑部:やっぱり服部さんからすると、当時の流行歌の売れっ子と言うと、西條八十を中心にした四行詩、五行詩、七五調というものが定石だった時代なんですけど。やっぱりブギを作る場合にはそういう人たちの詞に曲をつけることも難しいし、逆に自分が作った曲先の場合にそういう先生にお願いするのはなかなか難しい。そこで服部良一、自分が作詞したり、そうじゃない場合は藤浦洸さんと鈴木勝さんみたいな今まで作詞をあまりしてなかった人にも声をかけて作ってもらうという形をしていたみたいですね。

田家:今日の7曲目です。この曲に詞をつけられるそれまでの作詞家の方はいらっしゃらなかったでしょうね。「ジャングル・ブギー」。

Rolling Stone Japan 編集部

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