刑部芳則が語る、J-POPの元祖・服部良一が戦時中に作った楽曲の幅広さと抵抗

軍国銀座娘 / 渡辺はま子



田家:昭和13年9月発売。作詞が西條八十さんで作曲が服部良一さん。これはおもしろい歌ですね。

刑部:おもしろいですね。タイトルがすごいじゃないですか。暗い曲じゃないんですよね。当時日中戦争でイケイケでしたから、非常に戦勝気分を謳歌するような明るい曲なんです。古関裕而さんが作った曲ですけど、それが間奏のところに流れるという、そこが1つの魅力だなということもあって選んでみたんですけど。

田家:どこかさみしいというリアルな歌ですね。西條八十さん。ちょいと乙だよ軍国気分って歌った後にステーブルファイバーの肌触りってこれはなんだろうと思ったんです。

刑部:ステーブルファイバーというのは当時スフと呼ばれまして、日本は例えば洋服を作る毛、そういうものは全部輸入にほとんど頼っていたわけですよ。やがて戦争に突入していって、輸入が途絶えたときに作ることができない。そこで動物繊維ではなくて植物繊維で国産でできる洋服生地という形で開発されたのが、ステーブルファイバーなんですよ。

田家:それは軍服にも使ったんですか?

刑部:使いましたね。戦争末期ですね。いよいよ純毛だとか混毛だとかで代用できなくなったときはスフが使われたんですけど、ペラペラの薄い生地でザラザラしたような、非常に肌触りの悪い、質の悪い生地ですよ。

田家:これぞ歌は世に連れという1曲でしょうね。

銀座カンカン娘 / 高峰秀子



田家:これは予備曲で選ばれたのですが、昭和24年7月に発売になった高峰秀子さんの「銀座カンカン娘」。明るくていいですね、ホッとします。うれしくなりますね。

刑部:同じ銀座の娘を歌ってもちょうど10年経っているわけです。進駐軍がやってきて、民主的な平和な日本を謳歌する娘の姿ですよね。

田家:戦中と戦後がいかに違ったか如実に表した1曲ですね。当時は映画の主題歌で。

刑部:映画の中では笠置シヅ子さんも一緒に高峰秀子さんと一緒にこの曲を歌っています。

田家:服部良一さんがお書きになった自伝『ぼくの音楽人生』の中で当時の銀座のことを描写されているんですよ。“ビルの谷間に闇売店の露天が並び、進駐軍のジープが走り、GIが肩で風を切って歩き、その腕にどぎつい衣装のパンパン娘”という表現がありましたね。

刑部:これは作詞が佐伯孝夫さんなんですよ。服部さんは佐伯さんにこの曲に合うような、何かいい隠語のものを考えたときに、最初は銀座パンパン娘というのも考えたらしいんです。

田家:それはストレートすぎますよね。

刑部:だからさすがにパンパン娘はまずいだろうというので、語韻がいいからというのでカンカン娘になったみたいです。

田家:佐伯孝夫さんは吉田正さんと組んで、橋幸夫さんとかも佐伯孝夫、吉田正という名コンビになっていくわけですけど、このときは服部さんと組まれているんですね。

刑部:そうですね。佐伯さんはビクター専属の作詞家なんですよ。服部さんは戦後になりますとコロムビアの専属なんですけどビクターとも特別に作ることができるという契約をして出したので、佐伯孝夫さんと組んでいるんですね。

田家:戦後の東京をちょっと感じていただいた後に再び大陸の情景を思い浮かべていただけたらと思います。今日の5曲目、渡辺はま子さんで「蘇州夜曲」。

Rolling Stone Japan 編集部

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