刑部芳則が語る、J-POPの元祖・服部良一が戦時中に作った楽曲の幅広さと抵抗

バラのルムバ / 二葉あき子



田家:昭和22年1月発売。刑部先生が選曲解説をお書きになっている『服部良一の世界』の解説にこんな文章がありました。太平洋戦争が終わると、服部の実力が発揮される時代が到来した。

刑部:はい、そうですね。これはやっぱり服部さんじゃなければ書けないような曲だし、戦前ではなかなかこれは発売できなかったような曲じゃないかなという感じがするんですよね。悔やまれるのがほとんどこれが懐メロ番組とか放送でかかることがないので、大ヒット曲でいい曲なんだけれども知っている人が少ないんですよ。

田家:二葉あき子さんはこういう曲を歌う人だった?

刑部:もともと声が高かったので、二葉さんも東京音楽学校を出ているので、こういう曲を歌いこなすのが上手かったんですよ。

田家:なんでそういう懐メロ番組で紹介されなかったんですか?

刑部:昭和20年代の後半に原因不明の奇病にかかりまして、突然高い声が出なくなっちゃうんですね。歌うことができなくなるということで、一時歌手を引退しようとしたときがあったんですけど、服部良一さんが大丈夫だよと。キーを落としてでも、君にあった曲をこれから書いてあげるからというようなこともあって、その後も歌い続けます。懐メロにも出てくるんですけど、ものすごくキーが下がっちゃっているんですね。所謂原型が崩れてきてしまうので、それで高音を活かした曲は二葉さん自身があまりお歌いにならなくなっちゃったということですよね。

田家:服部良一さんの作品をこういう形で掘り起こされることが増えてきて、特にNHKのドラマはそういういい機会になったと思うのですが、まだ見落とされている作品とか未発表のものはあるんですか?

刑部:まだたくさんありますよね。未発表というか、CDに復刻されていないような曲はたくさんあるんですよ。一般の人がタイトルも曲を聴いてもわからないような。秘曲と呼んでいるんですけどね。

田家:それはどこに残っているんですか?

刑部:それはコロムビアの方で当時録音していたものが残っていたり、あるいは当時発売されたSPレコードです。私としてはヒット曲はもちろんいいんですけど、全くCDに復刻されていないような曲。ヒットはしなかったけど、でも悪い曲じゃなくていい曲もあるだろうということを探し続けて30年ぐらいですかね。それを聴いたときが私にとっての新曲なんですよね。

田家:なるほどね(笑)。新曲が、宝庫がまだあるわけですね。来年、そういう作品を集めたアルバムが出ると聞きましたけども。

刑部:来年の3月発売予定で『服部良一秘曲集』という。これはちょうど『エール』の放送をしていたとき、『古関裕而秘曲集』という2枚組のCDが4種類出たんですけど、今回はその後で第二弾です。

田家:その中からお聴きいただこうと思うのですが、まだCDになっていない曲です。笠置シヅ子さんで「大島ブギー」。

大島ブギー / 笠置シヅ子



田家:来年の3月13日に発売になります、アルバム『服部良一秘曲集』の中の笠置シヅ子さんの「大島ブギー」。これはいつ頃発売されたんですか?

刑部:昭和25年12月ですね。

田家:1週目で「アロハ・ブギ」の話が出ましたけど、ここでは“日本のハワイ”って言ってますもんね。

刑部:そうですね。「アロハ・ブギ」とちょっと違って、日本的な感じのブギって感じですよね。

田家:たしかにね。秘曲集は何曲ぐらい入っているアルバムなんですか?

刑部:Disc1、Disc2で23曲、22曲ですね。

田家:コロムビアにはまだまだたくさん残っているんですね。あらためて今月思ったんですけど、SP盤の音って独特なものがありますね。

刑部:そうですね。今の技術でも逆に再現できないような、独特な音色がありますよね。

田家:この哀愁はなんだろうという。今月は笠置シヅ子と服部良一という形で特集を組んでみたのですが、服部良一さんという人についてあらためて知ってほしいこと、あらためて思われることってどういうことですか?

刑部:服部良一さんというのは一般的にはJ-POPの元祖、それは間違いないんですけど、だけどそれだけのイメージだけではなくて今日聴いていただいた「兵隊さんを思ったら」とか、当時の他の作曲家が書いていたような曲とか、社歌とか自治体歌とかそういうものも書いていて、幅広い技術を持っている。その上で自分の個性を出すために今のJ-POPの原点みたいなものの作品を作っていた。その幅広さをみなさんに知ってほしいなと思いますね。

田家:J-POP、ポップ・ミュージックだけじゃない。もっと大きい作曲家だったんだ。先生は最近、こういう話をする機会が増えているわけでしょう?

刑部:そうですね。昔はどちらかと言うと明治維新の話とか多かったんですけど、今は十中八九、昭和歌謡の話が多いんですね。

田家:今月はいかがでしたか(笑)?

刑部:これだけ古い歌謡曲の世界を紹介していただけたことがうれしかったですし、おそらくこの番組で東海林太郎、小唄勝太郎の名前が電波に乗ったというのは最初で最後じゃないかな(笑)。そこがもうとてもうれしく感じました。

田家:なるほどね。僕が生まれた頃の話をいろいろ教えていただいて、ありがとうございました(笑)。

刑部:ありがとうございました!

静かな伝説 / 竹内まりや



流れているのはこの番組の後テーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説」です。

刑部芳則先生から選曲が来たときに一瞬ぎょっとしたんですね。まさか自分の番組で軍歌を流すことになるとは夢にも思わなかった。え!これ俺流すんだと思ったんです。服部良一さんはJ-POPの父と言われるのは2つ理由がありまして、1つは日本語を洋楽的な曲に乗せた、リズムとコードとハーモニーの音楽にした。もう1つは軍歌を書かなかったということがあったんですね。そう思い込んでいましたし、それが定説になっていました。

でも、あの歌は服部さんが作曲なわけで、実際はどうだったんだろうと自分が思っていたことが揺らいだんですね。先生がお話をされていたように、軍歌と戦時歌謡は違うんだ、なるほどなと思いました。戦時歌謡というのは当時のポピュラー・ソング。流行歌なわけですから、やっぱりその世界にいたら似たようなものは書かざるをえない、いやいやながら抵抗をしながら自分なりのものをささやかに作ったのがあの曲なわけで、でも他にレコードになっている曲はほとんどないということでしたから、やっぱり服部良一さんは軍歌を書かなかった方とあらためて思いました。

でもポップ・ミュージック、世の中、世は歌につれというのがあるわけですから、世の中的に左右されて社会が変われば、音楽も変わらざるをえない。そういう歌を歌っちゃいけない、書いちゃいけない、出してはいけないということも当時は当たり前だったわけで、その中で音楽をやっていた人がいかに抵抗したかということもおわかりいただけたらという、そんな終わり方であります。二度とそういう時代が来ないことを祈りながらブギを踊って、年末を迎えましょう。今年もありがとうございました。来年もよろしくお願いします。



<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp

Rolling Stone Japan 編集部

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