米イスラム系の若者が直面する精神疾患の実情に迫る

もはやアメリカンドリームを夢見る移民ではなくなった

イスラエル・ガザ戦争が6カ月目に突入する中、ディアボーンでは――ウォールストリートジャーナル紙の論説記者が「アメリカにおけるジハード(聖戦)の首都」と呼んでいるように――反イスラム感情が沸点に達している、と地元の宗教指導者は口を揃えて言う。そうした緊張状態から、バイデン政権は長年民主党の牙城である地域の対立解消を急ぐ羽目になった。ホワイトハウスは2月上旬に職員を現地に派遣したが、2020年大統領選の際にわずか15万票で勝敗の行方が決まった浮動州で、重要なカギを握る人口11万人の選挙区の支持基盤を固めるのが目的だった。

ディアボーン住民の多くが9.11以降抱えてきたトラウマや不安、抑鬱は、戦争によってさらに悪化した。ディアボーンのアブドゥラ・H・ハムド市長は2月20日付ニューヨークタイムズ紙の記事で、「人々が抱えた悲しみ、恐怖、無気力感、さらに罪の意識が深い霧となって、日常生活を覆いつくしているかのようだ」と書いている。「パレスチナの人々に向けられている暴力や不当な仕打ちを想像するまでもない。我々の多くがすでに経験済みだ」。戦争に伴って民間人への暴力や警察の監視が危ぶまれる中、ディアボーンやその周辺地域の行動保健学の専門家によると、精神疾患の苦しみも広がっているという。

著名な医学雑誌の研究でも、アラブ系・イスラム系アメリカ人の精神疾患羅漢率が著しく高いことが分かっている――自殺率に関しては他の宗教信者の倍以上だ。またCapital & Mainが入手したデータによると、ここ数年で数百人のアラブ系・イスラム系がオピオイドの過剰摂取を経験しており、過剰摂取による若者の死亡率は全国平均の4倍にものぼる。

ディアボーンで依存症治療を行うシェイディ・シェバク氏は、精神疾患や薬物乱用の急増を目の当たりにしてきた人物だ。「診療所の開設当時、大規模な偏見が起きるだろうとは予測していました」とシェバク氏。だがここ最近は数週間先まで予約が埋まっているという。

Capital & Mainが送ったメールや自由情報法(FOIA)に基づく情報開示の要請に対し、FBIは監視戦略の詳細や、アラブ系・イスラム系コミュニティの健康への影響についての回答を控えた。

Capital & Mainの質問には「肯定も否定もできない」とFBIは述べた。FBIが用いる「手法」が世に出る可能性があるため、「こうした記録の存在有無を認めること自体が機密扱いです」というのがFBIの記録担当職員の返答だった。

様々な問題を抱える中、ディアボーンの地域団体は危害を軽減する様々な施策を試み、精神疾患危機の沈静化を図ってきた。だがデータの欠如など様々な問題が活動を妨げている。ダーヴィッチェさんをはじめとする人々いわく、そのせいで若者は見殺しにされている。

「アラブ系コミュニティ内では精神疾患に対する偏見が強いため……虚勢を張って空白を埋めようとします」とダーヴィッチェさん。「無理がきかなくなるまで」。


シェイディ・シェバク医師と妻のヘンダ・アル・ビアッティさん ディアボーンの精神科診療所にて(ELI CAHAN)

ある意味、ハリル・アブ‐ラヤンさんはいかにもアメリカらしい子ども時代を過ごした。

アブ‐ラヤンさんは現在29歳。若いころは父親が経営するデトロイトのピザ屋で夜間と週末に勤務し、注文を受けたりピザを運んだりしていた。休みの日は息抜きがてら、近所でスケートボードに興じた。

一方で、ディアボーンの生活は独特だった――例えば町のほうぼうで、祈りの時間を告げるアザーンが1日5回鳴り響いた。また市外ではあまり目にすることのない、ヒジャブを被った女性やトーブをまとった男性の姿も見られた。

だがそんな環境でも、アブ‐ラヤンさんはアメリカ人らしさの典型に従わなければならないというプレッシャーを学校や町の中で感じていた。周りに溶け込むために、自分を「カイ」「レイ」と呼んでいたが、何度となくアイデンティティの分裂に苦しんだそうだ。「アラブ色が濃すぎてアメリカ人にはなれず、アラブ人になるにはアメリカに染まり過ぎていました」。

ワールドトレードセンターと国防総省が攻撃されてからは、周りに溶け込むことが一層難しくなった。学校の廊下では白い目で見られ、食堂ではいじめられた。そしり、中傷、メディアに散見される憎悪を煽る文言。アブ‐ラヤンさんはしばしば髭を短く刈り込み、周りにはヒスパニック系だと嘘をついた。またはイタリア人、白人だと言うこともあった。

「2001年は全てが一変した1年でした……自分たちは悪者にされました」と言うアブ‐ラヤンさんは当時まだ小学生だった。「もはやアメリカンドリームを夢見る移民ではなくなり――よそ者になったんです」。

それから10年余りが経過し、高校に入学したアブ‐ラヤンさんは、誇り高きイスラム系アメリカ人のオンライン・コミュニティを見つけた――本人いわく、「帰属意識を感じられる、裏の生活」だ。だがそのうちに、ソーシャルメディアから少しずつ怪しげなフォーラムへ移っていき、ほどなくイラク・シリア・イスラム国、いわゆるISISの投稿動画をリツイートするようになった。しまいには自分でも迷彩服に身を包み、拳銃を振りかざして、カメラに1本指を上げるISIS式の敬礼をする写真を投稿した(数千万人のアメリカ人同様、アブ‐ラヤンさんも合法的な銃の所有者だったそうだ)。

2015年冬、当時20代前半だったアブ‐ラヤンさんはインターネットで「生涯の恋人」と出会った。オハイオ州立大学で経営学を専攻する23歳のパキスタン人、ガーダさんだ。それまで恋愛経験のなかったアブ‐ラヤンさんはたちまちのぼせ上り、2人はすぐに婚約した。「とても愛しているよ、ハビブティ(アラブ語で「最愛の人」)」とは、12月12日付に彼女に送った携帯メールのメッセージだ。「人生最愛の人……僕の妻」。

2人の会話に上った話題のひとつが、熱いイスラム教への思いだった。そうしたやりとりには前述のリツイートも含まれていた。リツイートが公の目に触れていること、イスラム教との関りを誇らしく思っていること、法当局の監視の陰がちらついていることを、ガーダさんは心配してるようだった。「気を付けて、ハリル。あなた監視されてるんじゃないかしら」と、ガーダさんは12月13日付のメールに書いている。「噂だとFBIらしいわ」と彼女は続け、「発言には気を付けて」とある。自分はシリアに渡ってISISと一緒に戦うごく一部のアメリカ人とは違って、暴力的な過激主義には一切興味がない、とアブ‐ラヤンさんは彼女をなだめだ。

それから数日のうちにガーダさんは――アブ‐ラヤンさんも後日知ったが、実はFBIの内通者だった――は局に2人のやりとりとリツイートの件を当局に伝えた。数週間も経たないうちにアブ‐ラヤンさんは逮捕され、数カ月も経たないうちに連邦刑務所に収監された。

Akiko Kato

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