米イスラム系の若者が直面する精神疾患の実情に迫る

憎悪がもたらす影響

アリさんは、10歳の時に南レバノンで負った銃創が古傷となって癒えたころに鬱病を発症した。

ゼイナブさんは中学生の時に自傷行為をするようになった。両親は数十年前にイラクからディアボーンへ移住し、本人も定期的に祈祷をするようになって数年が経過していた。

2021年のイスラム教の祝祭「イード・アル=アドハー」を迎えるころ、スハさんは不安症を発症した。兄はすでに故郷に戻っており、末の弟は薬物依存症で、真ん中の弟は過剰摂取で他界していた。

カッセムさんは29歳の誕生日から、恐怖で外に出られなくなった。たっぷりチーズがとろけるピタパン、あつあつのモロヘイヤスープ、感謝祭のテーブルの飾りつけ、クリスマスに吹雪の中『ライオンキング』のビデオテープを借りに行く日々は、遠い昔の出来事と化した。3人の親友はすでに他界し、本人も重度の広場恐怖症を患った。

「周りの人がものすごく怖かった」とカッセムさん。「本当に暗鬱でした」。

その年、カッセムさんは天井にベルトを吊り、椅子に上って、自ら命を絶とうとした。

ゼイナブさん、アリさん、スハさん、カッセムさんはみなディアボーン生まれの20代――今日のアラブ系・イスラム系アメリカ人の若者に見られる、精神疾患の典型的な例だ。こう語るのは、ミシガン州立大学精神医学部のファルハ・アッバシ助教授だ。学術誌『Journal of Muslim Mental Health』の編集主幹も務めている。

『American Journal of Public Health』に掲載された53の論文を検証した結果、「差別の経験と精神衛生の低下に一貫した関連性」が見られた。こうした論文には、自傷行為(ゼイナブさん)、鬱病(アリさん)、不安症(スハさん)、偏執病(カッセムさん)などが事例として挙がっていた。他の論文でも、内在化した反イスラム感情の高まりとともに、こうした心理的苦痛も悪化する傾向があることが判明した。政府の監視対象にされた人物は、とくに心理的苦痛を受ける確率が高くなることも示されている。

「9.11以降、有害な環境で育った世代です」とアッバシ氏。「この国でイスラム教徒であるがゆえに受けるトラウマを、ただちに考慮するべきです」。

アラブ系・イスラム系アメリカ人の精神疾患の専門家で、インディアナ大学でソーシャルワークを教えるタレク・ジダン助教授によると、こうしたトラウマの根底にあるのがイスラム教徒やアラブ系に向けられた精神的・身体的暴力の日常化だ。


昨年10月、ミシガン州ディアボーンにて パレスチナ人支援の抗議デモ中、パレスチナの旗を身に着けて自転車に乗る人(MATTHEW HATCHER/GETTY IMAGES)

FBIのデータによると、2016年にドナルド・トランプ氏が大統領選で当選して以来、イスラム教徒に対する暴行件数は急増し、その後も2001年と同じレベルに留まっている。アラブ系に向けられた憎悪犯罪の件数も過去最多だ。FBIいわく、中東が混乱状態に陥ってからというもの反イスラム感情はさらに激化している。

「アメリカ国内のイスラム教徒はあまりにも長い間……憎悪に駆り立てられた攻撃や差別的な事件を圧倒的に受け、耐え忍んできた」。2023年11月、バイデン政権が反イスラム感情への対抗措置を発表した声明の中で、ホワイトハウスのカリーヌ・ジャン-ピエール報道官はこう述べた。

アラブ系・イスラム系アメリカ人の9.11世代は、「背中に標的を背負わされ、お前たちは要らない、お前たちはアメリカ生まれのテロリストだと言われています」とアッバシ氏は言う。

FBIはCapital & Mailとのメールでのやりとりで、ディアボーンで行われていると思しき監視戦略が精神疾患に及ぼすであろう影響について、コメントを控えた。

「FBIの方針で、捜査の存在を肯定もすることはできません。誠に申し訳ございませんが、現時点ではそうした情報を提供することは致しかねます」と、FBIのガブリエル・シュレンキェル報道官はメールに書いている。

こうした暴力で人命が失われたケースもある。2021年の医学雑誌『JAMA Psychiatry』に発表された論文によると、イスラム系アメリカ人の自殺未遂率は他の宗教グループの倍以上だったことが判明した。自殺未遂率がもっとも高かったのが18~29歳だ。論文の著者は、レバノンやパキスタン、イランといったイスラム教徒が大多数を占める国より、アメリカの自殺未遂率が高い点を指摘している。

「反イスラム感情、差別、9.11以降増加する憎悪犯罪――これらがすべて引き金となって……精神疾患の危機を招いている」とジダン氏は言う。

ディアボーンは2022年、通常は国や州の機関である公衆衛生局を市として設置するという異例の措置に出た。「衛生局を立ち上げた際、最優先課題としたのはもちろん精神疾患や薬物乱用でした」と語るのは同局の初代局長を務めるアリ・アバジード氏だ。「隣人同士が反目するようになると……そうした社会構造のほころびから健康に甚大な被害が生じます」。こうした問題はディアボーンの青少年の間で「とくに」深刻だったとアバジード氏は言う。

10月以来、同局のスタッフは警察や救急サービス、学校と連携して、「押し寄せる」精神疾患の相談電話に対応している。

「世界的問題の影響が、地元の問題として差し迫っているのを実感します」とアバジード氏は言う。「これらは憎悪がもたらした結果です」。

Akiko Kato

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