ライター志田歩が語る、PANTA & HALが追求した頭脳警察とは違うアプローチ

屋根の上の猫 / PANTA



田家:志田さんが選ばれた今日の1曲目です。1975年の大晦日に頭脳警察を解散して、ソロとして最初に出したアルバム『パンタックス・ワールド』の1曲目「屋根の上の猫」。『マラッカ』から入られたということは、この『パンタックス・ワールド』も後追いってことになるんですね。

志田:そうですね。ただし、PANTA & HALのステージにおいて、「屋根の上の猫」は非常に重要なレパートリーでしたので。この場を借りてちょっと1つ懺悔をしたいんですけども、「ミュージック・マガジン」のPANTAさんの増刊号の「PANTA & HALの時代 EXTENDED」で『パンタックス・ワールド』についても触れているのですが、その中で僕「マーラーズ・パーラー」にTOSHIさんは参加してると書いたんですけど、「屋根の上の猫」にも参加しているんですよ、TOSHIさんは。そのことを書かないと、ちょっと意味が違っちゃうだろうと。

田家:たしかに継続性という意味でね。

志田:頭脳警察を解散した一発目のアルバムの冒頭1曲目にTOSHIさんは参加しているんだよってことはこの場であらためて訂正させていただきたいと思いまして。

田家:先週高垣さんがお話をされてましたけども、いろいろなミュージシャンが入っているんですけども、TOSHIさんがちゃんといたということですね。

志田:そうです。それがないと、TOSHIさんとはPANTAさんの絆という意味でちょっと意味が違っちゃうかなと思ったので、ぜひこれは懺悔したいと思います。

田家:頭脳警察が図書館に置いてなくて、そこから辿っていって最初の印象はどうでした?

志田:PANTA & HALに比べてリズムが前の時代、70年代のバンドなんだなと思って。僕の中で70年代と80年代の違いってリズムの刻み方、フュージョン以降の話だと思うんですけども、16ビートをいかにハードなサウンドの中に取り入れるか、取り入れないかというのが70年代と80年代の違いだと思って。PANTAの場合は頭脳警察とPANTA & HALという2つのバンドによって、その違いがはっきりとわかるなと感じました。

田家:しかも1975年以前はそこまで頭が行かない中で音楽を作っているという状況がありましたからね。今日はそんな話を一世代下の方にいろいろ伺っていこうと思います。志田さんが選ばれた今日の2曲目、1979年3月発売PANTA & HALの1枚目のアルバム『マラッカ』から「つれなのふりや」。

つれなのふりや / PANTA & HAL



志田:この曲ってやっぱり曲の作り方がすごい。「俺の声聴こえるか」「いえーい!」って答えるしかないじゃないですか。

田家:ライブの定番曲でしたもんね。

志田:客がリアクションをするのを前提に曲を作っていてという、そのすごみですよ、まず。

田家:「マラッカ」とか「マーラーズ・パーラー」とか名曲が入ってますけども、アルバムの内容についてはどう思われますか?

志田:「妙に」という言い方をあえてしますけども、歌詞がかっこいいなと。要するに今赤道直下、マラッカ。体言止めで、情景を描いておしまい!みたいにすごいクールだけど、熱いものが伝わってくるという。この作詞のスキルってそれまで知らなかったなというのがありますね。

田家:それまでの志田さんのリスナーとしてのメインの場所には何があったんですか?

志田:その頃はハードロックとかプログレとか洋楽が。

田家:それを押しのけて『マラッカ』がそこにドンと座っちゃったんだ。

志田:日本語の歌詞でどかっと聴けるアルバムというふうに聴きましたね。

田家:ライター、シンガー・ソングライター志田歩の日本語のロックに対しての目覚めがその『マラッカ』だった。

志田:そうですね。そう言っていいと思います。

田家:今回の『ミュージック・マガジン』の原稿、PANTA & HALの45ページのドキュメントの中にPANTA & HALの結成についてもお書きになってました。ソロ2枚目のアルバム『走れ熱いなら』。そしてシングル『あやつり人形」のときだった。そのときにPANTAさんがやろうとしていたことはどんなものだと思われますか?

志田:頭脳警察とは違うアプローチ。

田家:さっきリズムという話をおっしゃってましたもんね。

志田:それは後から僕が聴いて思ったことですけど、PANTAさんとしては頭脳警察のイメージを引きずったものと違うところに行きたいというのは切実にあったんだろうなとは想像しますね。

田家:ソロの『パンタックス・ワールド』と『走れ熱いなら』でバンドとは違うものができた。その次にもう1回バンドでやるんだということで、そこに行っている。

志田:そうですね。

田家:鈴木慶一さんのプロデュースについては当時はどんなふうに見ていたんですか?

志田:ムーンライダーズって僕にとっては『MODERN MUSIC』がすごく象徴的なアルバムで、それこそパンクが出てきてニューウェーブが出てきてという時代の節目のときに、ニューウェーブ的なものへの先導役といううか、橋渡しをする感じの役割としてすごい意識してましたね。

田家:慶一さんはニューウェーブ、そういう当時のモダニズムみたいなことを音でやろうとしてた人で、「つれなのふりや」はそういうレゲエとニューウェーブが一緒になったようなアレンジでしょう。でも今日志田さんがお持ちになった音源というのがありまして、僕はこの音源を知らなかったんですけれども、その中に「つれなのふりや」が入っていたんですよ。

志田:これは頭脳警察の『music for 不連続線』ですね。1972年に劇伴として頭脳警察が作った曲に「つれなのふりや」があるんです。

田家:それを聴いてみましょうか。

Rolling Stone Japan 編集部

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