ライター志田歩が語る、PANTA & HALが追求した頭脳警察とは違うアプローチ

Blood Blood Blood / 頭脳警察



志田:歌詞がとてつもない。1972年のある種伝説の中にいた頭脳警察が、1990年のこのタイミングでこんなことをメジャーで出す。こんなやつ他にいるかという。

田家:「ふざけるんじゃねえよ」の平成版ですよね。1990年というのは湾岸戦争が始まったときで、また世界中の戦争の中に突入しようとしているという中でこれが生まれて。

志田:血を流せって。

田家:これはPANTAからインタビューで聞いたんですけど、時代が頭脳警察を引っ張り出すんだと言っていましたね。これはソロじゃ歌えないから頭脳警察でやったんだというふうに言っていました。

志田:ちょっと思うところなんですけど、これって元号が変わって間もないタイミングじゃないですか。だから、その言葉の取り方もいろいろな含みがあって、どれがどれだってPANTAさんは説明しないけどそういう取り方もできるだろうって絶対に意識していると僕は思うんですよね。

田家:でしょうね。今日は志田さんに伺いたかったことの中にロックミュージシャンにとっての過激。志田さんは『THE FOOLS:MR.ロックンロール・フリーダム』。これはとても過激なロック・バンドのことをお書きになっているでしょう。そういう意味の共通点はあるんですか?

志田:共通点はありますよね1つは1972年というタイミングに何を感じたかということを補助線として見るといろいろなことが見えてきますね。今日の話でもPANTAの1972年というのが芝居との関わりにあったという話があったじゃないですか。THE FOOLSの場合は1972年に高校生だったのかな。そのときに何を感じてどう思ったかと言うと、「無力のかけら」っていう歌があるんですけど、僕の言葉で言うと連帯の不可能性を歌った歌。なんでこんなみんなバラバラになってしまったんだ、そういう歌がTHE FOOLSの最初期の曲で、代表曲としてあるんですけど、それは1972年という時代が持っていた「後退戦」というムードが彼にそういう語彙を選ばせたんだろうなと思いますよね

田家:同じような認識があった。

志田:うん、そうですね。

田家:THE FOOLSのメンバーは頭脳警察とか知らない?

志田:いやいや1990年にネルソン・マンデラが日本に来たときに歓迎コンサートで頭脳警察とTHE FOOLSでセッションしています。

田家:あ、一緒にやっているんだ。

志田:やってます。あと、江戸アケミの追悼コンサート。THE FOOLSとそれぞれバラバラですけど、出てますよね。

田家:時代も世代も違うのに。

志田:でも、そのときは要するに1990年の頭脳警察の再結成のタイミングがそういうタイミングだったんですよね。

田家:なるほどね! そう考えると頭脳警察のPANTAさんのやろうとしていることは違うバンドによって、やっぱりちゃんと受け継がれているというふうに言っていいかわからないですけども、流れているものがあるっていうことですかね。

志田:そうですね。あと1つ覚えているのはPANTAさんに頭脳警察50周年の2019年にTHE FOOLSのドキュメント本のためにインタビューさせて頂いているんです。要するに当時の頭脳警察とTHE FOOLSでセッションしたときのことを伺いたかったんですけども。そのときに「ブラック・ミュージックとかを歌うのにすごい似合った声で憧れちゃうよ」みたいな、そういう非常に奥ゆかしい言葉をいただいたのを覚えていますね。

田家:50周年のときに集まったメンバーが今の新しいメンバーでもあるわけでしょう。頭脳警察の。来週はその人たちが登場してくれます。

志田:あー、いい流れですね!

田家:ありがとうございました。

志田:こちらこそ!

Rolling Stone Japan 編集部

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