スティーヴィー・ワンダー最高傑作『キー・オブ・ライフ』知られざる制作の裏側

2年間の制作期間で用意したのは200曲

ワンダーが指針にしたのは、曲作りのレンジを広げるという個人的な挑戦だった。「(『キー・オブ・ライフ』という)タイトルと対峙し、その中身を表現していくなかで、できるだけ多様な曲を書き、幅広いトピックを扱うことを自分に課した」と、ワンダーは『メイキング・オブ・キー・オブ・ライフ』で語っている。「このタイトルは僕に、挑戦すべき課題を示してくれたが、挑戦することと同じくらい重要だったのは、ソングライター、そしてアーティストとして自分の想いを表現する機会を得たことだった」。

ワンダーはこの挑戦に真正面から取り組み、取りつかれるほど没頭した。レコーディング・セッションは2年半休みなく続き、東海岸と西海岸の4カ所のスタジオ:ハリウッドのクリスタル・サウンド、ニューヨーク市のヒット・ファクトリー、ロサンゼルスとサウサリートのレコード・プラントの支店で行われた。そのいずれかのスタジオに行けば、大抵はワンダーを見つけることができた。エンジニアやサポート・ミュージシャンが交代で入るなか、ワンダーは48時間ぶっ通しで音楽の女神を追い続けることもあった。ハービー・ハンコック、ジョージ・ベンソン、“スニーキー・ピート”・クレイナウ、ミニー・リパートンを含む130人以上がこのアルバムのレコーディングに参加した。「調子が良ければピークまで続ける」がワンダーのモットーとなった。

「レコーディングは2年間毎日のように続いた。膨大な時間、大量の曲だった」と、ギャリー・オラサバルと共にレコーディングの大半のエンジニアを務めたジョン・フッシュバッハは回想している。「スティーヴィーが最も多作だった時代だ。ワンダーがその2年で書いた曲は、それ以前に制作した曲数を上回った」。

正確な数は不明だが、ワンダーは『キー・オブ・ライフ』のセッションで数百曲は収録したと言われている。しかし、そのほとんどは金庫の中で眠っている。プリンスにも匹敵するほどの多作ぶりは、フィッシュバッハが制作過程で言っていた「200曲くらいだろう」という発言に裏付けられる。「下書き程度の曲もあったし、完成度が高い曲も、そこまでではない曲もあった。スティーヴィーの期待に応えられるまで、僕らはただ仕事を続けた」とフィッシュバッハ。



オラサバルはワンダーの仕事の流儀を「恐ろしいほど自由」と表現した。ミュージシャンは夜遅く(または早朝に)呼び出されることがあり、特に振り回されたのは、「ビレッジ・ゲットー・ランド」の歌詞を一緒に書いていたゲイリー・バードだった。バードは3カ月かけて言葉を吟味し、完璧だと思える曲を完成させた。するとワンダーはスタジオからバードに電話し、その曲にもう1ヴァース加えることを決めたと平然と伝え、10分で追加の歌詞を書くように頼んだ。バンドはその間待機していた。

キーボード奏者のグレッグ・フィリンゲインズは、「レコーディング・セッションとスティーヴィー・タイムは違う」と、2006年のWBEZ(シカゴのラジオ局)「サウンド・オピニオンズ」のポッドキャストで笑いながら語った。「正式なレコーディング・セッションというものはなかった。スタジオに行ったら、とにかくそこに居ることが仕事だ」。

Translated by Rolling Stone Japan

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE