リンキン・パーク『ハイブリッド・セオリー』20周年記念盤、メンバーが語る名盤の舞台裏

『ハイブリッド・セオリー』が発表された時にまだ娘はいなかった(フェニックス)

—『ハイブリッド・セオリー』の発表後、大きな門が開かれたような感じで、あなた方は当時影響力のあるフェスだったオズフェストや、ファミリー・ヴァリューズ・ツアーに招かれて、自身のツアーもやって、『リアニメーション』というリミックス・アルバムも出しましたよね。『ハイブリッド・セオリー』はその後のあなた達をどのように形成しましたか?

ブラッド:みんな知ってると思ってたけど改めて言っておくと、俺達のバンドの名は、ハイブリッド・セオリーだったんだ。でもレーベルの人に変えるように言われて、それで変えた。チェスターが「リンキン・パークはどう?」って言って、「意味は何だ?」って聞いたら、「分からないけど、クールだろ」って。だから、実を言うと、ハイブリッド・セオリーはこのバンドのことだったんだよ。様々なスタイルの音楽を融合するっていう概念がね。この時までに俺達が作った全ての多様な音楽が、最終的にこのアルバムになって世に出たんだ。レコード契約を手にして、スタジオに行って、そこで突然、「これは現実だ」って実感して、プレッシャーも感じて。映画の中にいるみたいだったよ。

—今回のようなデラックス盤はまた作りますか? これを作ったことで、次にどんな音楽をやろうというような話にはなりましたか?

マイク・シノダ(Vo):このプロジェクトを始めた時、完成するのか少し疑ってたんだ。友人達や家族が色々なものを見つけてくれて、それを集め始めるまではね。長年の間にこういうものがたまっているのは分かっていたけど、クオリティは保証されていないから。でも今回のプロジェクトに収録したものは、見るのが本当に楽しかった。このバンドの種は、僕と12、3歳の頃からの友人のマークで、ブラッドがマークの家の隣に住んでた。僕達がマークの家の窓から石を投げたら、ブラッドの家の窓に当たる距離で。ブラッド、君がメタリカの曲を練習してたのが聞こえてたんだよ。

ブラッド:お前達だったのか? 変な視線を感じてた。

マイク:女子だったら良かったね(笑)。で、マークと僕で曲作りを始めた時に作ったデモも、ここに収録されている。リリースできるように、マークにお願いしたんだ。だから、すごく特別な曲が入ってるよ。スーパーファンだけじゃなく、当時このアルバムを楽しんで聴いていて、特別な思い出があるような人達にも楽しんでもらえると思う。

フェニックス:僕達の音楽を楽しんでくれる人達が大勢いるのは知ってるけど、僕の家庭にも3人いて、娘達は『ハイブリッド・セオリー』が発表された時は、まだここにいなかった。彼女達に20年前の僕達を見せるのは、すごく楽しかったよ。娘達は、メンバー全員に会ってるからね。だから、もし今後もアルバムの記念盤が出ることがあるとしたら、個人的にはやりたいなと思うよ。

ブラッド:それに俺達はいつだって、曲を作るのが大好きなんだ。このアルバムの次のアルバムでも、俺達は可能な限り沢山曲を作って、それを絞ってた。毎回、平均して60曲から100曲を12曲に絞るっていうことをやってたんだよ。

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