リンキン・パーク『ハイブリッド・セオリー』20周年記念盤、メンバーが語る名盤の舞台裏

ローリングストーン誌の表紙にまつわるエピソード

—過去20年を振り返ってみて、どんな感慨を覚えましたか? そして、この旅路で、あなた方が最も感謝していることがあるとしたら、それは何でしょうか?

ブラッド:『ハイブリッド・セオリー』のツアーは、2年半ずっと続いたんだ。少しだけ家に帰る時間があったけど、気持ち的にはずっとツアーに出てた。家にいて、友達や家族と過ごす生活から、2年半ツアーに出て人前で生活するようになって、本当に大変で、孤独だったしつらかったし、嬉しかったし最高でもあった。誰もが「経験してる間に楽しみなよ」って言ってたけど、俺にとってはカオスだった。地に足をつけているのが精一杯だった。だから、感謝は後から湧いてきたんだ。そして今振り返って、「なんて驚異的なロケットに乗ってたんだ」って思える。それをこのメンバーでやれたことに感謝しているよ。

司会のマット:ボックス・セットに収録された初のプロジェクト・レボリューション・ツアーのライブ映像のことだけど、あの年、確か君達はデフトーンズの「マイ・オウン・サマー」をカバーしたよね?

ブラッド:俺達のカバーの歴史はあまりなくて、他のバンドが僕達をカバーした時の方が優れてたよ。俺達がやろうとしたのを見るのは楽しかったけどね。珍しいから。

フェニックス:僕達がやったカバーは数曲しかなくて、その曲は覚えてるよ。いつも演奏するのが楽しかった。多分、他にやったカバー曲はナイン・インチ・ネイルズの曲だったんじゃないかな。僕達はそもそも、何をカバーするかで意見が一致することが殆どなかった。そして、稀にやることになった時は、一か八かなんだ。

司会のマット:2001年のフィルモア公演のDVDも入っていて、素晴らしい。当時のライブ映像を見返して、どう思った?

マイク:子供の時にタレントショーか何かに出演した時の映像を見ているみたいな気分で、見てて恥ずかしくなったよ。覚えてるのは、すごくプレイを重ねたから、バンドが成長してすごくタイトになってたこと。それから、『ハイブリッド・セオリー』は40分以下だったんだけど、フェスティバルでヘッドライナーに近い時間に出るようになって、最後から2番目とかになると、観客は60分のセットリストを見たがるんだよ。

ブラッド:90分ぐらいプレイしてくれって言われたからな。

マイク:ああ、ヘッドライナーになったら言われたね・

ブラッド:それで俺達、「どうしろって言うんだよ?」って。同じ曲を3回やるの?

マイク:(笑)それに、当時チェスターと僕はステージ上でのペルソナというか、キャラクターを探ってて、チェスターも僕もMCが普段の話し方とは違ったんだよね。その理由の一つはステージ上で居心地の悪さを隠すためで、いつもと違うペルソナの裏に隠れていれば、何千人もの観客に見つめられているっていう事実を認識せずに済むと思ってたからなんだよ。みんな覚えてる? プレス用の写真を撮る時に、一番の問題は、「手はどうしたらいいのかな」とかで(笑)。僕達は若くて、それぐらい経験が浅かったんだ。雑誌の表紙の撮影で、「この手はどうすりゃいいんだ、バカっぽくみせたくない」、「大丈夫だよ、ただポケットに突っ込んどけ」とかヒソヒソ話してた」

ブラッド:それで思い出したよ。ローリングストーン誌の表紙の撮影で、俺以外の全員が表紙に出てて、俺は上の帯に隠れてて、手だけ出てたんだよ。帯を開かないと俺の全身が見えないんだ。でも、あれが俺の一番好きな表紙の写真。俺達が漁師みたいな設定だった。

ジョー:あれ、一番売れなかったローリングストーンだって最近聞いたよ。

司会のマット:それはないよ(笑)。

ブラッド:俺が表紙に出てないからだ(笑)。

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