ジャイルス・ピーターソンが語る、ブリット・ファンクとUK音楽史のミッシングリンク

アシッド・ジャズ、新世代ジャズ、レゲエとの関係

―STR4TAの相棒ブルーイが結成したインコグニートは、80年代にブリット・ファンクのムーブメントから出てきて、90年代にはアシッド・ジャズの中心的な存在になりました。ブリット・ファンクをチェックしてから改めてブラン・ニュー・ヘヴィーズやジャミロクワイなどを聴いてみて、ブリット・ファンクから受け継いでいるものが確実にあるように感じました。アシッド・ジャズとブリット・ファンクの関係について聞かせてもらえますか?

ジャイルス:1978年から1982年までがブリット・ファンク黄金期だけど、それは1982年になってドラムマシンが使われ始めたから。そこで全てが変わったんだ。フリーズはアーサー・ベイカー(※)と「I.O.U.」を制作し、ハイ・テンションは「You Make Me Happy」でドラムマシンを使用した。そこでストリート・ソウルが生まれたんだ。ブリット・ファンク、レゲエ、ラヴァーズ・ロックをミックスしたものだね。

※アメリカのプロデューサー/DJ。アフリカ・バンバータ「Planet Rock」(1982年)でドラムマシン「TR-808」のサウンドを世に知らしめ、80年代初頭にリミックスという方法論を広めた。


フリーズ「I.O.U.」(1983年)、アーサー・ベイカーは作曲とプロデュースを担当。ジェイミーXXが2015年作『In Colour』収録の「Girl」でこの曲をサンプリングしている。


ジャイルス:そのあとヒップホップやエレクトロが出てきて、1988年頃になるとアシッド・ジャズが生まれた。ここでドラムマシンから離れて、再びオーガニックなサウンドに戻ったんだ。その時に出てきたのがブラン・ニュー・ヘヴィーズやジャミロクワイ、そしてガリアーノだね。

そして2016年、ユセフ・カマールが現われた。ユセフ・カマールはブリット・ファンクとアシッド・ジャズをミックスしているよね。こうした流れを見てみると、どこでどういうアーティストに影響が与えられてきたのかよくわかる。アルファ・ミストもジョー・アーモン・ジョーンズもロンドン・ジャズ、アシッド・ジャズ、ブロークン・ビーツの影響を受けている。エマ・ジーン・サックレイの新作がもうすぐ出るんだけど、ブロークン・ビーツやアシッド・ジャズ、それからNu Jazzな感じだったよ。最近、再びそういう音楽が出てきているのは面白い傾向だよね。




エズラ・コレクティヴがジャイルスへの謝辞とともに、自身のプレイリストでブリット・ファンクを紹介。STR4TAは新世代UKジャズにも影響を与え始めている。

―今、レゲエやラヴァーズロックの話が出ましたが、ブリット・ファンクにもUKのジャマイカンやサウンドシステムのカルチャーの影響があると思います。UKのジャマイカンとブリット・ファンクの関係はどういう感じだったんですか?

ジャイルス:それはロンドンの中でも、場所によって答えが変わってくる話だね。ノースロンドンのトッテナムだと、サウンドシステムを中心にシーンが作られた。サウンドシステムとはつまりレゲエのカルチャーで、それこそLOTWはその影響を受けている。かたやウェストロンドンだと、ルート・ジャクソンと彼が率いていたグループのF.B.I.(※1)がいた。F.B.I.はブリット・ファンク以前のバンドだけど、ブリット・ファンクのコミュニティに属していた。そしてその流れで、のちに出てくるのがオマー(※2)だ。オマーの前の世代はたいていレゲエをやっていて、サウンドシステムがジャズ、ファンク、そしてレゲエのシーンを作っていた。そう考えると(ほぼ白人バンドである)レベル42とは異なる背景があるのがわかるよね。

※1:70年代のUKのファンク・バンド。名前は「Funky Band Inc.」の略。ダニー・ハサウェイやスティービー・ワンダーのカバー、ラテン・テイストの曲がレアグルーヴの文脈で再評価された。
※2:アシッド・ジャズ期にトーキン・ラウドからデビューしたシンガー。「There’s Nothing Like This」などがヒット。




―80年代のイギリスには、ブリットファンクと隣接するような場所にルース・エンズみたいなグループもいましたよね。ルーズ・エンズのメンバーが90年代に入ってから、ソウル・II・ソウル(※)のキャロン・ウィーラーのソロ・アルバム『UK Blak』に参加していたのが個人的に気になっていました。

※DJジャジー・B、ワイルド・パンチ(マッシヴ・アタックの前身)のネリー・フーパー、キャロン・ウィーラーらのプロジェクト。「Keep On Movin’」などで80年代半ばに大ヒット。彼らの音楽は「グラウンド・ビート」と呼ばれた。

ジャイルス:1982年にドラムマシンが登場したというさっきの話につながるんだけど、ブリット・ファンクからストリート・ソウルへの過渡期に重要な役割を果たしたのがルース・エンズだった。彼らは1stシングル「In The Sky」をリリースしたあと、「Hangin’ on a String」で大ヒットを記録した。1982年までにフリーズ「Southern Freeez」、ライト・オブ・ザ・ワールド「London Town」、レベル42「Love Games」といった重要曲があるように、ストリート・ソウルが出現した時代で重要なのがルース・エンズの「Hangin’ on a String」なんだ。

そして、その後にジャジー・Bによるソウル・II・ソウルの登場へと繋がっていく。ジャズ・ファンクからストリート・ソウルへ変化し、ソウル・II・ソウルの時代がやってきた。大きなクロスオーバーが起こり、アメリカで一大ムーヴメントを巻き起こした。ルース・エンズはある意味でブリット・ファンクとサウンドシステムから生まれたもので、ソウル・II・ソウルはルース・エンズの流れから生まれたんだ。(キャロン・ウィーラーの作品に関与している)カール・マッキントッシュのことを考えてもね。



Translated by Aoi Nameraishi

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