エルヴィス・コステロが語る過去と現在、「怒れる若者」と呼ばれた1977年の記憶

 
「出禁パフォーマンス」を回想

―初期の頃はあえて「Alison」をセットリストに入れていませんでしたね。なぜですか?

コステロ:俺たちの持ち歌で唯一のバラードだったからさ。ショウではテンションが一気に下がるだろ、それは避けたかった。それで思ったんだ、「なあ、これは楽勝すぎる。もう少し攻めようぜ。みんながまだ聞いたことのない曲をたくさん演奏しよう」とね。それで誰も聞いたことのない2枚目のアルバムから演奏した。ジ・アトラクションズには荷が重かったかもしれないな、レコーディング(コステロがジ・アトラクションズと最初に収録したアルバム『This Year’s Model』のこと)し始めたばかりだったし、全部俺たちの曲だったしね。

―昨年にはスペイン語圏のシンガーを起用して、『This Year’s Model』を全編カバーした『Spanish Model』をリリースしました。楽曲に対する見方は変わりましたか?

コステロ:中には明らかに俺よりも美しい声の人が歌うことでずっと良くなった曲もあって、ある意味驚いたね。「Hand in Hand」はかなりびっくりだった。あれは本当にいい曲だよ。これまでそんなことは全く思いもしなかった。「僕から謝罪は期待するな」って生意気な態度の曲だからね。それが(『Spanish Model』では)本当に優しいメロディにのっているように聴こえた。俺が歌うよりもずっと優しく聴こえたね。




―生意気な態度と言えば、1977年の『サタデー・ナイト・ライブ』出演中に突然「Radio, Radio」に曲を変えてTV局を出入り禁止になったのは有名な話です。今、当時の決断を振り返ってどう思いますか?

コステロ:やっちまったと気づく前に、俺たちはもうイギリスに戻って『This Year’s Model』の収録の続きに取りかかっていた。イギリスでは『トップ・オブ・ザ・ポップス』に出演しなくちゃいけなかったから、その間アメリカのことは忘れていた。NBCのことは振り返りもしなかった……きっとTV出演はないだろう、という風に言われたよ。でもぶっちゃけ、 俺はTVに出たいと思ったことは一度もなかったんだ。



From Rolling Stone US.




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Translated by Akiko Kato

 
 
 
 

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