ミツキが語る「音楽から離れたのは、音楽を愛するためだった」

秘密主義者のレッテル

その理由は今でも分からないそうだが、ミツキは子どもの頃、すべての文章を「いいえ」で始める癖があったという。「『リンゴは好き?』と聞かれると『いいえ、リンゴは好きです』と言っていたんです。今思えば、それが相手の気を引く、あるいは自分を主張する手っ取り早い手段だったのかもしれません」。

その愛すべき記憶は、若き日のミツキの肖像を描き出す。彼女の父親はアメリカ国務省に勤務していたため、一家は引っ越しを繰り返し、彼女の生まれた日本からトルコ、アメリカのアラバマまで、あらゆる場所に住んだ。いつも転校生だった彼女は、頼まれてもいないのに怪談話をしたり、お泊り会で一番に起きたりする子どもだった。「朝、台所で親御さんに出くわしたあと、ふたりで世間話をしながら自分の朝食を作ったりしていました。みんながまだ寝てる間に」と笑顔で振り返る。「そういう子でした」。

全国的なメディアに出るようになってからの8年間で、ミツキはしばしば「プライベートだ」と表現されるようになった。自分の家族について話すことは避け、両親は定年退職し妹は「本当にいい人」としか明かさず、飼い猫の名前も特定されるのが怖いから明かさないようにと丁重にお願いする。「私が明らかにしないのは他の人に影響を与える事柄です」と彼女は言う。「私の人生には公になっていない人たちがいて、その人たちがメディアの力学に巻き込まれることに同意していない以上、その人たちのことを話す権利が私にあるとは思えません」。しかし、実際のミツキは率直でオープンだ。数時間に渡るインタビューを通じて、彼女はすべての質問に答えてくれた。彼女が極めつきの秘密主義者だという考えを覆すべきだし、このことについては彼女からも言いたいことがある。

「これについてはこんな仮説を立てています」と彼女は話し始める。「いまの立場に置かれたとき、わたしはプラットフォームと注目を受け取るのと引き換えに私自身を差し出していたということに気が付かなかった、ということです」。

彼女が音楽を始めた世界では必ずしもそうではなかったと、彼女は続ける。「私はDIYパンクのシーンから来ました。そこには白人のバンドがたくさんいて、彼らのやっているのは、ただ音楽を世に出し、ツアーに出て、家に帰ることだけだったんです。自分もそれと同じだと思っていたんです。自分が知らずに取り交わした契約をよもや破っているとは思いもしませんでした。何かを私が秘密にしていると、人はとてもとても怒ります。意識はしていないのでしょうけれど、そういう人たちは、私が契約を履行していないと思っているんです」。



彼女は、スターを生贄に例えた、2013年のミーガン・フォックスについての『エスクァイア』の有名な記事に言及する。「当時は嘲笑されたけれど良い指摘だったと思います」と彼女は言う。「私たちは、この儀式が必要なのだと脳に刷り込まれてしまっています。美しい女性を祭り上げた後、クソみそにして破壊する。ありがたいことに、31歳になった私には、もう生贄になる資格はないのかもしれないけれど」。

ミツキは2020年9月に30歳になったが、誕生日を祝ったのは自宅での隔離生活の最中だった。「誇張ではなく、20代から抜け出せたことがクソ嬉しくて、起きてから一筋の涙を流したんです」と言う。彼女はその年の大半を、ヴィーガンの焼き菓子(特にパイ)を作ったり、ホラー映画を見たり、ガーデニングをしたりして過ごした。「本当の私は、理想の生活を送っているわけではないんです。ソファでテレビを見ているだけ。ファンの人は会ったらがっかりしますよ」。

彼女は、『ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス』を見てキュウリを植えている自分と、イギー・ポップやデイヴ・グロールを魅了した音楽を創るアーティストである自分とを隔てている距離に心地よさを感じている。「分裂とまでは言いませんが、人付き合いはわたしを不安にさせますし、パーティに行くのも好きじゃありません」と彼女は言う。「パフォーマーとして、舞台上では自分の居場所がわかっています。自信がもてますし、迷いもありません。ただそこに存在しているだけです。その状態で1時間もいることができるのは素晴らしいことです」。

Translated by Akira Arisato & Kei Wakabayashi

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