ブリング・ミー・ザ・ホライズンが語る、依存症からの回復、次世代エモ、セルフケアの大切さ

「無意識のスクロールが精神に及ぼす影響は変わらない。人生は無意味だ、というような灰色の感情が押し寄せるんだ」

パンデミック発生当時、サイクスは酒を飲み、マリファナを吸った。だが不安が高まるのと時を同じくして、売人がもっと強いクスリを売り始めた。「最初のうちは『ちょっと退屈しのぎにやるだけだ。昔みたいな状態にはならないさ、いろんなことを抱えて生きてるんだから』と思っていた。クスリに手を出し始めた時は、本当にそう思っていたんだよ」 。クスリによって現実逃避的な気休めがもたらされると、そうした悟りはあっという間に消えてしまった。彼は再びかつての逃避を求めた。葛藤はあったが、誰にも知られることなくケタミンを服用しつつ、何とかリモートで『Survival Horror』を制作した。

当時の彼はシェフィールドの自宅で、妻と両親と一時的に同居していた。彼がクスリに走ったことに気づいた妻のアリッサは、彼の両親に相談した。両親は前回の薬物中毒の際にも協力している。父親は息子の安全を危惧して車で送迎を担当し、リハビリの際には積極的にサポートしていた。

サイクスはとことんみじめな気分になり、自分に失望した。「依存症に逆戻りしたことが信じられなかった」と、あきらめをにじませながら彼は言う。「最後に中毒だった時は彼女もとっかえひっかえだったし、結婚もしていなかった。もちろん、周りの人たちを動揺させて怖がらせていたのはわかっていた。でも相手がアリッサとなると、浮気したも同然だよ。受けるダメージはまったく同じだ。相手が隠れて何かやっていたことに気づいたら、それは裏切っていることになる。信頼は完全に崩れ去ってしまった。俺はハッパを吸ってたから、彼女も俺がちょっと吸い過ぎたぐらいにしか思わないだろうとタカをくくってたんだ。彼女はまったく気づいていなかった。彼女はそれまで強いクスリをやっている人間を見たことがなかったからね。ものすごく怯えて、俺が死ぬんじゃないかと思っていた。その時ハッと気づいたんだ、俺は自分をダメにしただけでなく、自分に身を捧げてくれた相手までダメにしちまったんだって」

パンデミック中にもうひとつ中毒になったのが(もっとも社会的には容認されているが)ソーシャルメディアだった。ソーシャルメディアを利用することで、サイクスの不安はまたひとつ深まった。自分らしさ、外見、自分が何を成し遂げたか(または成し遂げられなかったか)、バンドは十分イケているのか。「14歳の女の子だろうと、上手くいってるロックスターだろうと、無意識のスクロールが精神に及ぼす影響は変わらない。人生は無意味だ、というような灰色の感情が押し寄せるんだ」


Photo by Lindsey Byrnes

2021年7月、サイクスは人生で初めてセラピー通いを始めた。そして10月にはアリッサとともに彼女の故郷ブラジルへ渡り、そこを拠点に生活するつもりだった。1カ月間ブラジルのアーシュラマ(精神修行のための隠遁所)で電話は一切禁止という生活を送る中、サイクスはバンドという枠組みを離れ、自分が何者かを学んだ。言葉にするのは簡単だが、彼は自分が驚くほど平凡であることを発見し、ささやかな喜びに幸せを見出すことができるようになった。犬の散歩、美味しい食事、TVゲームをすること、他人の自己表現に手を貸すこと。彼はまた家族思いになった。「自分にとって家族がどんなに大事か、家族のおかげでどれほど気分がよくなるか、今まで気づかなかった。数カ月ツアーに出ているときは、電話1本よこさない男だったからね」

セラピーとその後の悟りの甲斐あって、彼は2020年以前の生き方を振り返りながらしみじみと実感している。「俺は癒されていたというより、目を背けていたんだよ」


Photo by Lindsey Byrnes


ロサンゼルスのストリートに立つブリング・ミー・ザ・ホライズン(Photo by Lindsey Byrnes)

Translated by Akiko Kato

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