ブリング・ミー・ザ・ホライズンが語る、依存症からの回復、次世代エモ、セルフケアの大切さ

「俺たちはクリエイティブすぎて、正統派アリーナロックバンドにはなれない」

ブリング・ミー・ザ・ホライズンの物語は、出だしから愛と憎しみ、死と再生の間を行き来していた。バンドの結成は2004年の英シェフィールド。ロザラムという街(マット・ニコルスの推測では「完全に落ちぶれ、今は前よりひどくなっている」)から来たマット(・ニコルス)がシェフィールドで、未成年の若者向けオルタナティブ・ナイトでオリヴァーと出会ったのが始まりだった。オリヴァーは嫌われ者で、学校でも度々いじめられていた。ずば抜けてクリエイティブだったものの、6歳の時にADHDと診断されたせいで、教室では嫌な思いをする羽目になった。ヘヴィ・ミュージックがはけ口だった。メタリカのカバーバンドで演奏していたギタリスト、リー・マリアとカーティス・ワードと知り合いだったマット(・ニコルス)は、自分たちもバンドを作ろうとオリヴァーに提案した。「自分たちが何をやってるのか、誰もわかっちゃいなかった。俺たちはただ、みんながモッシュできるヘヴィ・ミュージックを作りたかっただけなんだ」と、リーは振り返る。

この寄せ集めバンドこそシーンカルチャーの担い手だ、とMyspaceの10代のユーザーが判断するまで時間はかからなかった。一時期ブリング・ミー・ザ・ホライズンは、コールドプレイやリリー・アレン、アデルといったミュージシャンを押さえて再生回数1位になったこともある。「最高だったよ。シーンが決めるんだからね」と、ベースのマット・キーンは言う。「いいねボタンの回数とか、自分の親父がメンバーだとか、どのぐらい予算をかけたかとか、アーティストがビッグになるための他の条件は一切関係なかった」

デジタルプラットフォームの黎明期、SNSセレブといった概念が出始めたばかりのころ、まだ10代だったオリヴァーはすでにファッション系インフルエンサーでソーシャルメディアの有名人だった。バンドを結成して間もなく、オリヴァーはオルタナ系アパレルブランドDrop Deadを設立。このブランドは今も繁盛している。創業2年目を迎えるころには、時代を読み、ネオンカラーのグロテスクなハードコア美学を指揮する彼の能力は、数十万ポンドの利益をもたらした。ヘヴィ・ミュージックに傾倒していた者はみな彼の存在を知っていただけでなく、彼やバンドについて何かしら意見を持っていた。バンドが好きでも嫌いでも、誰もが彼のTシャツを着てライブに足を運んだ。


Photo by Lindsey Byrnes

男性優位主義のロックメディアは、おそらく彼らが民主主義で成功したこと、初期の音楽が月並みなデスコアだったこと、サイクスの外見や態度の悪さに対する怒りから、バンドに対して敵意をあらわにした。「マスコミからはとくに憎まれていたみたいだね」とマット(・キーン)も言う。「多分、俺たちがものすごく若かったからだろう。ロックメディアの連中は年配で、俺たちが売れてるから雑誌に載せなきゃいけないっていうのが気に入らなかったんだろうね」。メディアと同意見のロックファンにしてみれば、彼らの音楽はメタルと言うには物足りなかった。



3枚目のアルバム『There Is a Hell Believe Me I’ve Seen It』(2010年)の後、バンド内部で問題が起きた。「当時の俺は相当ラリってて、すべてに無頓着だった」とマット(・ニコルス)は振り返る。「だが、(オリヴァーが)俺たちを困らせる事態になった。俺たちはあいつとつるむのを避けた。悲しい話だよ。自分たちがバンドとしてやっていけるかどうかもわからなかった」。失敗に終わった湖水地方での作曲合宿で、オリヴァーはリハビリ施設に入院することを仲間に告げた。過去にも1度リハビリを試みて失敗していたが、今回は結果的に上手くいきそうに思えた。「俺たちにとっては仕切り直しだった。これでゼロからやり直せると思っていたんだ。そこへ突然メジャーレーベルとの契約が舞い込んで、『完全に立ち直ったら、みんなに俺たちの実力を見せてやろうぜ』と思ったんだ」とマット(・ニコルス)は言う。

そうして生まれたのが、キーボード兼プロデューサーのジョーダン・フィッシュを新たに迎えた2013年の『Sempiternal』だ。その後のアルバムでさらに裾野は広がったが、メタルからの脱却を願っていたリスナーは、他のジャンルに手を出す彼らに苛立ちを募らせた。ポップロックの意匠を取り入れた『That’s the Spirit』(2015年)を皮切りに、アルバムリリースのたびにファン層は広がっていった。ここでまたもや反動が起きる。次のアルバム『amo』では、方向性を変える必要が出てきた。「俺たちはクリエイティブすぎて、正統派アリーナロックバンドにはなれないんだよ」とフィッシュは振り返る。「オリヴァーはクリエイティブ過ぎて、そういうバンドにはそぐわない。だから『amo』は、少々リセットして軌道修正するという感じだった」






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Translated by Akiko Kato

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