ブリング・ミー・ザ・ホライズンが語る、依存症からの回復、次世代エモ、セルフケアの大切さ

「『amo』には何かが欠けていた。人々もそれを感じていたし、自分たちもそれに気が付いた」

6枚目のアルバム『amo』は2年間のレコーディング作業を経て2019年にリリースされた。このアルバムで、彼らはアルバムチャートNO.1とグラミー賞ノミネートという念願の夢を叶えた。だが皮肉にもこうした功績とはうらはらに、ファンではこれまで以上に賛否両論分かれ、批評家からの反応もいまひとつだった。この時の経験を踏まえて生まれたのが、4枚組EPというアイデアだ。アルバムの形式に手間暇かけた分だけ、ストレス要因も大きくなる。

オリヴァーの場合、『amo』にまつわる否定的な意見がしばらく脳裏から離れなかった。「俺は今でもあの作品を誇りに思ってるよ。でも精神的には応えるね。あれだけ手間をかけて上手くいったと思っても、たった1つの悪評で人生が台無しになる。自己肯定の基準が、アルバムのセールス枚数やNO.1獲得になってしまうんだ」。『amo』がグラミー賞を取れなかったことにもがっかりした。「周りの他のアーティストがみな自分よりもうまくやってて、ビッグになっている。そりゃあ精神をむしばまれるよ」と本人も言う。

他のメンバーは『amo』の限界をもっと素直に受け止めている。メインストリームで成功するために、「必要条件をすべてクリア」しようとした最初のアルバムだったことを、マット(・ニコルス)も認めている。ブリング・ミー・ザ・ホライズン独自のやり方に水を差したことが、裏目に出てしまったのだ。「『amo』には何かが欠けていた。人々もそれを感じていたし、自分たちもそれに気が付いた」と彼は言う。「アメリカに進出して、ファンの気持ちから離れてしまった。本当につらい時期だった。『ここでもう終わりだ』と思ったよ」



だが彼らは間違っていた。結果的に『amo』はブリング・ミー・ザ・ホライズンをさらに前進させ、新境地へ導くチャンスだったことが証明された。オルタナティブ・プレス誌のマーケティングディレクターで、ケラング誌の元編集者のサム・コール氏は、オリヴァーが再構築の必要性を感じていたことが、ぴったり型にはまったアーティストを好む大多数のヘヴィ・ミュージックのファンを魅了し、かつ分極化した要因だと考えている。「AC/DCは45年間のキャリアでずっと同じような曲書き続けています。ですが今の時代、45日間同じところに留まり続ければ取り残されてしまう。興味の持続時間が短くなっている世の中で、オリヴァーは若者の動向を誰よりもよくわかっています。デイヴ・グロールを看板にしたバンドより、オリヴァー・サイクスを先頭に今日結成されたばかりのバンドのほうが支持を集めるでしょう」


妻アリッサ・ソールズとオリヴァー・サイクス(Photo by Lindsey Byrnes)

安定感のある一目置かれた存在のデイヴ・グロールと、ベテラン勢に頼り切りの面白みに欠けるロック時代に現れたオリヴァー・サイクスのような次世代アーティスト。なんとも興味深い対比だ。バンドの今後の目標について尋ねると、リーもグロールの名前を口にした。「フー・ファイターズといえば世界中の誰もが知っている。俺たちはまだそこまで行っていない」。最新アルバムで時代の流れをとらえたブリング・ミー・ホライズンは、自らのレガシー構築にも取りかかった。この10年メインストリームでは伸び悩んでいたブリティッシュ・ロックを、窮地から救い出す孤高の存在として。

オリヴァーも近代ロックの伸び悩みを度々口にしていたが、今では少し気持ちが変わった。若手オルタナアーティストの台頭に触発され、スクリーモにおけるトラヴィス・バーカーのような存在となり、大勢の若手アーティストとのコラボレーションや宣伝を通じて若者文化を称え、自らも溶け込もうとしている。「新しいシーンのアーティストはみなブリング・ミー・ザ・ホライズンを聴いて育ってきた。自慢の子どもを持つ父親のような気分だよ」と彼は言う。以前よりヘヴィでギターに重きを置いた『Survival Horror』の成功を受け、ジョーダンもまたロックでの地位を確立したと感じている。「以前よりもロックバンド扱いされることに慣れてきたよ」と彼は言う。「ダサくてイケてない奴でいる必要はないんだ」

Translated by Akiko Kato

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