Tani Yuukiが語る、「Myra」がTikTokで大ヒットするまでの音楽人生と未来

-そこに至るまでのルーツも知りたいのですが、音楽の道を歩んでいくことになったきっかけは何だったんでしょう?

音楽好きの家庭で育って、父親は海外のハードロックが好きで、母親は王道のJ-POPが好きだったから、家や車の中でいろんな音楽が流れていたんですよね。あと、ふたりとも若い頃から楽器をやっていて、父親はバンドでエレキギターを弾いていたんです。ジェフ・ベックモデルのストラトを持っていて、壊れていたから僕が修理に出したらネックを取られてヘッドだけ返ってきて「これ、ベックモデルなんだけど……」とめちゃくちゃガッカリさせちゃったこともあるんですけど(笑)、それぐらいギターが好きで。で、母親は小さい頃からピアノをやっていたから、家にもピアノがあって。その流れで妹もピアノを習っていました。

-音楽一家だったんですね。

まだ母親のおなかにいる頃から音楽はずっと聴いていたと思うんですけど、自ら音楽を奏でるようになったのは、中学2年生のときにおじいちゃんがアコースティックギターをくれてから。当時の僕は病気で学校に行けなくなっちゃっていて、そのせいで家族に対してもコミュニケーションがとれなくなってしまって。だから自分の中にどんどん閉じ篭っていったんですけど、そんなときにおじいちゃんがホイってアコギを渡してくれたんです。弾き方が分からないなりにイジるところから始まって、YouTubeで勉強しながらカバーをやるようになって、そうなると必然的に歌うようにもなるじゃないですか。そうしたら歌詞が自分の心境と重なって、親との間のわだかまりみたいな想いを自分の部屋で大声で歌うことで間接的に伝えたりして(笑)。

-音楽によって自分の気持ちを表に出せるようになったと。

音楽に救われました。高校生になってもギターを続けていて、進路を考えたときに「勉強は出来ないから音楽しかない。自分も誰かの想いを代弁できるような曲が作れるようになりたい。シンガーソングライターになりたい」と思って、親に頼んで専門学校に行かせてもらったんです。それでオリジナル曲も少しずつ作れるようになっていったんですよね。



-その当時はどんな音楽の影響を受けながら作曲していたんですか?

高校生のときに出逢ったRADWINPSの影響が大きかったですね。曲を作ることになって、ラブソングから書こうと思ったときも「野田洋次郎さんだったらどうやって書くだろう?」とイメージしながら作曲して。でも、もちろん全然上手く書けなくて「うわ、悔しい!」と悩んでいるあいだにRADWINPSは新曲をどんどん出していくわけですよ。それに「そういう表現もあるのか」と驚かされつつ、自分にはそれが出来ないからムシャクシャしたりして(笑)。

-野田洋次郎に追いつけない自分に腹を立てていたと。

自分が何者でもないくせにそれで落ち込んだりもしたんですけど、シンガーソングライターをやっている同級生から「自分は自分でいい」といったことを気付かせてもらって。僕は僕なりに自分の性格に合った楽曲を作っていこうと思えるようになったんですよね。

-模倣から始まったけど、自分のオリジナリティを重要視するようになっていったわけですね。

そうですね。あたりまえなんですけど、「俺、RADWINPSじゃないもんな」と思って。あと、専門学校でスリーピースバンドを組んだことも大きくて。そのバンドのベーシストがめちゃくちゃ音楽理論的な話をしてくれたんですけど、僕は何を言っているのか全然分からなくて。それを理解したくてピアノを始めたんですよね。おかげでギターだけじゃなくピアノでも曲作りができるようになって、専門学校を卒業するときにパソコンを買って自分でアレンジもするようになっていくんです。それまでアレンジは誰かに頼んだりしていたんですけど、待ち時間がすごく長かったりして。だから自分で出来るようになろうと思って、パソコンでDTMを始めたんですよね。

Rolling Stone Japan 編集部

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