Tani Yuukiが語る、「Myra」がTikTokで大ヒットするまでの音楽人生と未来

-ひとつひとつ段階を踏んで、音楽家としての基盤を作っていったんですね。そこから「Myra」の大ヒットに至るまでどんなストーリーを歩んでいったんでしょう?

当時はTikTokもなかったので、自分の楽曲を発信するのに音楽専用のSNSなどを使っていたんですけど、それで収益が得られるような仕組みではなかったんですよね。ライブをやりながらオーディションを受けまくっては落ちまくっていたんですけど、専門学校を卒業する直前に受けたオーディションに受かったんですよ。それでオリジナル曲も作って、ミュージックビデオも作って「この日にリリースします!」というところまで決まったんです。でも、その直前に呼び出されて「ごめん。上の事情でナシになりました」と。すべての制作も終えて、あとはデビューするだけだったから「え、あんなに凄いものを作ったのにナシになったんですか?」となって。その時点で専門学校は卒業していて、社会に出た一発目がそれで。ダメージはデカかったですね。

-とんでもない洗礼ですね。

いきなり放り出されてしまったので、心の底から「勘弁してくれよ」と思いました。音楽以外の勉強はしていないから会社員にはなれないし……でも「楽曲さえ作れれば何とかなるかもしれない」と思って、それでパソコンを買って、自分でアレンジまで仕上げられる状態にしたんですよ。その経験がなければ、今でもアレンジは誰かにお願いしていただろうし、今の自分の音楽は生まれていなかったと思います。何なら顔も表に出していなかったかもしれないので。そのときはVTuberアーティストとしてデビューする予定だったんです。



-全く違う音楽人生を歩んでいたかもしれないんですね。

そのifストーリーも見てみたかったですけど(笑)。自分はシンガーソングライターになりたくて音楽を始めたので、それは本来やりたいこととは離れていたんですよね。そういう意味では、VTuberアーティストとしてデビューできていたとしても、限界はあったと思います。でも、そこで出逢ったスタッフの人が今の自分をマネージメントしてくれている会社の社長なんですよ!

-なるほど。そのときの縁があってこその今。

あと、その当時、ミュージックビデオを撮ってくれたカメラマンさんがTani Yuukiとして一発目のミュージックビデオを作ってくれました。そのようにひとつずつ回収していく流れが「Myra」以降の1年間ぐらいであったんです。

-かつて解散してしまったクルーが再集結していくストーリーがあったんですね。まるで『ONE PIECE』じゃないですか。

今、ジャケ写やアートワークを手掛けてくれている人もその当時からの付き合いだし、面白いですよね。

Rolling Stone Japan 編集部

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