石橋凌が語る、ロックという言葉を使うのをやめた理由

―1曲目「粋な午後」では、コーヒーを淹れ、落語を聞いてというコロナ禍の日常が伺えますが、決して重くなく軽やかなのが印象的です。

石橋:自粛期間には、誰もが閉塞感や殺伐とした時間を過ごしてきたと思うんですけど、コロナ禍じゃなくても日本という国に住んでいると、例えば政治を見ていても、健全じゃないなって思うわけです。自分ができることとしたら音楽を作って歌うこと、かたや俳優業として誰かの人生を表現することなんですけど、直接的に自分がどういうことを考えているか、どう感じているかをメッセージできるのはやっぱり音楽なんですよね。閉塞感や殺伐とした時間からまず自分が開放されたい、そして音楽を聴いている人にも同じように開放されてほしい、ストレスや鬱憤を発散してもらいたいという気持ちがありました。

―アルバムを通して感じたことですが、そうしたメッセージを音にしたときに決して攻撃的にはなっていないですよね。

石橋:それは多分に、バンド時代の印象が強いからだと思うんですよ(笑)。デビューしたのが1978年ですから、ちょうど70年代中期にイギリスからパンク、ニューウェーブが入ってきた時期なんですよね。そうすると、自分たちのバンドの形式がドラム、ベース、ギター、ボーカルだったもんだから、どうしてもビート系、パンク系のバンドに見られていたんです。ところが、自分の中ではパンク・ミュージックよりはニューウェーブの人たち、イアン・デューリー、エルヴィス・コステロ、グラハム・パーカーとかの音が好きだったんですよ。ただ現実ではバンドの形式上、タテ乗りのビート系のサウンドが中心になってしまっていたんです。歌詞の面に於いては「何を思って何を歌うか」という視点はアマチュア時代から今まで何ら変わっていないんですけど、サウンド的には、バンドを卒業してからは「音楽をやりたい」と純粋に思ったんですよ。自分は男ばかりの5人兄弟の末っ子で育ったんですけど、4人の兄貴たちが見事に音楽の趣味がバラバラだったんです。一番上の兄がブラザース・フォアとかPPM(ピーター・ポール&マリー)を聴いたり歌ったりしていて、2番目の兄がベンチャーズのコピーバンドでドラムをやっていて。3番目の兄はブルース、ソウル、ジャズを聴いていたんです。4番目の兄はバンドを組んで、ザ・ローリング・ストーンズとかザ・ビートルズとかC.C.R.を歌っていて。あとはサントラ盤も自分で集めて聴いていたんです。ヘンリー・マンシーニ、エンニオ・モリコーネ、ニーノ・ロータとか。そんな感じで様々な音楽を小学生の頃から聴いてましたし、サウンドのバックボーンは広いので、今回もラテンやアイリッシュ、フレンチジャズみたいなものも取り入れました。それは、歌詞を人に伝えるための1つの手段として捉えています。

Rolling Stone Japan 編集部

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