石橋凌が語る、ロックという言葉を使うのをやめた理由

―確かに、バンド時代からソロになってからも一貫して社会的なテーマを歌っていますね。

石橋:当時から僕が1つのテーマにしている反戦歌を歌っていると、事務所の人とか周りの人に「そんな絵空事のような歌は日本ではウケないし、売れないよ」って言われたんです。でも1980年代から現在まで、世界中のどこかで戦火が上がってるんですよね。それで今回のウクライナのことがあるわけじゃないですか? それでもまだ俺に「絵空事だ」って言えるのかって思うんですよ。当時、「じゃあ何を歌えばいいんですか?」って聞いたら、「男女のラブソングだよ」って言われて、「人のことを思うから反戦歌を歌うのであって、僕は究極のラブソングだと思いますよ」って言ったんです。そういう問題意識というのは、幼少の頃に聴いたジョン・レノンやボブ・ディランから学んだことなんです。1枚のアルバムの中に、男女のラブソング、友だちの歌、家族の歌、仕事の歌、世の中で起きている理不尽なこと、戦争の歌まで1枚に共存していた。自分はプロのミュージシャンになったら、それを日本語で歌っていきたいと思っていたんです。ところがいきなり「歌詞に政治的なこと、社会的なことをひと言も入れるな」って言われた。僕は来年でデビュー45周年になるんですけど、自分としてはロックミュージックの本質を表現してきたと思っているんです。ところがそうすると「メッセージバンド、社会派バンド」として扱われて、それはイコール日本では売れないバンドなんですよ。本当はそういう歌ばかりじゃなくて、親父のことを歌ったり、男女のラブソングもある。その延長戦上に反戦歌もあるんですけど、それは歌っちゃいけないと言われるんですよ。



―特別なことじゃなくて、欧米の音楽から学んだことを日本語で自分なりに表現しているだけということですよね。

石橋:そうです。「ネオ・レトロ・ミュージック」を掲げているのはなぜかというと、自分はもう一切「ロック」という言葉を使いたくないんですよ。ロッカーとか、ロックシンガーと名乗るのも止めました。僕はもう、日本という国は「ロックミュージックというものが根付かない国」だって捉えているんです。自分がアマチュアバンドをやっていた1960年代後半~70年代の博多には、鮎川誠さんがやっていた本物のブルースロックですごい音を出すサンハウスがいて、名古屋にはセンチメンタル・シティ・ロマンスという本当に上手いツインギターのバンドがいて、大阪には憂歌団をはじめ、ウエスト・ロード・ブルース・バンド、上田正樹とサウス・トゥ・サウス、金沢にはめんたんぴん、東京にはPANTAさん(頭脳警察)がいて。当時は日本にも、テクニックもスピリットも海外のミュージシャンと引けを取らないロックミュージシャンがいたと思うんです。だけどそれが日本ではビジネスにならなかったんです。その代わりに出来たのがニューミュージックという音楽ですよ。確かに良いメロディの曲はありますけど、歌詞に於いては臭いものには蓋をしろ、の本音がない全部建前の音楽。その後、J-POPという言葉が出ましたけど、相変わらず、そういうことを歌うバンドは度外視されるじゃないですか?

―ただ、直接的にではないにせよ、洗練させていたり、オブラートに包むように表現することで主張しているミュージシャンは多くいるとは思いますよ。

石橋:そうですね。冒頭に「メッセージは昔と変わらないけど、聴きやすいですね」というようなことをおっしゃってくれたじゃないですか? 聴きやすくしようというのは今の僕にもあるんです。昔は本当に歌詞もビートもサウンドも直線的だったんですけど、それはある人たちからは支持されました。でも絶対多数からすると、ほんの一部なんですよね。今名前を挙げたような本物のロックミュージシャンたちが報われていないということが、僕はすごく残念なんですよ。

Rolling Stone Japan 編集部

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