セレーナ・ゴメス「真実」を語る 心の病や難病を抱え苦しみもがいた日々

最初の仕事は、ジョーズ・クラブ・シャックというシーフードレストランチェーンのコマーシャルだった。7歳になると——両親の離婚から2年後——子供向け番組『バーニー&フレンズ』に出演するチャンスをつかんだ。ちょうどテキサス州ダラス郊外で撮影が行われていたのだ。子役デビューを果たしたゴメスは、逃避のような感覚を味わった。「現実世界を生きる必要がなかった」と彼女は言う。「だってバーニー(訳注:番組の主人公の紫色のティラノサウルス)の世界で遊ぶことができたんだから。バーニーの世界は本当に楽しかった。それと、ケータリングサービスがとにかく最高だった」。10歳になると、子供向け番組を卒業した(「歳を取りすぎていることを理由に降板させられた。あのころから私は、芸能界のルールの中で生きていたのね」とゴメスは言う)。その後は、ディズニーがくれる日雇いの仕事で食いつなぎ、テキサスとロサンゼルスを往復する日々を送った。ロサンゼルスのダウンタウンでは、『バーニー&フレンズ』で共演したデミ・ロヴァートと彼女の家族とワンルームのロフトをシェアした。地元のグランドプレーリーに戻ったころにはすっかり内気になり、自分が周囲からのけ者扱いされているような気がした。「中学校でクラスのみんなに『バーニー&フレンズ』に出てました、なんて言っても誰も相手にしてくれない」とゴメスは言った。15歳で米ディズニー・チャンネルのドラマ『ウェイバリー通りのウィザードたち』の主要キャストの座を勝ち取ると、ゴメスは二度と戻らないつもりでテキサスを離れた。とうとう夢が叶ったのだ——撮影スタジオの外にパパラッチが集まるようになるまでは。それから数年とたたないうちに、初めての熱愛報道が世界中を駆け巡った。タブロイド紙はゴメスをからかい、恋人との関係を事細かに報じた。父親はゴメスをできる限りサポートをしようとしたが、「パパは、芸能界には関わりたくないと思っていた。だから実際は、ママと私の二人三脚だった」

ドキュメンタリーを撮影するにあたり、ケシシアン監督はカメラの前に自分をさらけ出すことに対してゴメスがどこまで本気かわからなかったと語った。「私はセレーナにこう言ったんだ。『撮影してほしいと言うのであれば、私がいついかなるときも君を撮影できることを約束してくれないといけない。マドンナもそうしてくれた』。すると彼女は『いいわ。約束する』と答えた。私は念を押すつもりで『君はまだ24歳だ。自分が約束しようとしていることの重大さをわかってほしい』と言った。そこで私たちはトライアルを実施した。その言葉どおり、セレーナは私にすべてを撮影させてくれた」


PHOTOGRAPHY BY AMANDA CHARCHIAN FOR ROLLING STONE. DRESS BY GABRIELA HEARST. EARRINGS BY JOANNA LAURA CONSTANTINE. RING BY MONICA VINADER X KATE YOUNG.

ケシシアン監督が言う“すべて”には、かなり深刻なものも含まれていた。「当時セレーナは、精神面でいろんなものを抱えていた。そうした姿をカメラの前でさらけ出すことに対して、彼女が戸惑いを感じていることがありありと伝わってきた」と監督は言った。その後、ゴメスはRevivalツアーを中断。ドキュメンタリー企画はお蔵入りとなった。

衣装室兼メイク室でのインタビューに話を戻そう。「みんなには本当のことを知ってもらいたいから、正直に言うわ。私は、いままで4つの施設で治療を受けたことがある」とゴメスは言った。「情緒不安定になりはじめたのは、20代前半のころだったと思う。自分の感情をコントロールできなくなっていることに気づいたの。当時はそれが良いことなのか、悪いことなのかもわからなかった」。ささいなことをきっかけに、気分が高まる躁状態と気分が落ち込むうつ状態の繰り返しが数週間、ときには数カ月間続くこともあった。眠れない夜が何日も続いた。躁状態になると、「みんなに車を買ってあげないと」という強迫観念のようなものを感じたそうだ。「私には芸能人としての名声があるから、それをいいことに使ってみんなと分かち合いたい」と考えたのだ。ゴメスの名声がこうした感情をより複雑にした。躁状態の後は、決まって気分が落ち込んだ。「まずは暗い気持ちになって、孤立感が湧いてくる」とゴメスは話す。「うつ状態がはじまると、ベッドから出られなくなってしまうの。話しかけられることが耐えられなかった。友人たちは私のことを心配して食事を運んできてくれたけど、私の身に何が起きているのか、誰もわからなかった。何週間もベッドに寝たきりのこともあれば、家の階段を降りるだけで息が切れることもあった」。自殺を試みたことはなかったが、自殺という考えが何年も頭から離れなかったと明かした。「私さえいなければ、世界はもっと良い場所になると思った」と、ゴメスは何でもないことのように言った。

Translated by Shoko Natori

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