J-POPの歴史「1990年と91年、音楽業界の規模が倍々ゲーム的に大きくなった始まり」



お聴きいただいているのは、90年5月発売のたまの「さよなら人類」。デビュー曲ですね。ボーカル・ギター知久寿焼さん、ボーカル・パーカッション石川浩司さん、ボーカル・ベース滝本晃司さん、ボーカル・キーボード柳原陽一郎さん。89年2月に始まったイカ天、『三宅裕司のいかすバンド天国』でグランドチャンピオンだったんですね。

いつの時代もそうですけど、前の時代からの延長戦の流れの中のものと、ここから新しく始まったもの。90年代にも両方ありますね。90年の初めは空前のバンドブームでありました。ブームはいつもそうなんですが、功罪ありますね。罪というのはマンネリ化と商業化ですね。同じようなものばっかりが量産されていく。功っていうのは、こういうたまのような、ちょっとはみ出した個性派、これはバンドブームじゃなかったらきっと世の中には送り出されなかったでしょうね。

バブルの対極のような歌ですね。SFファンタジー、科学技術、文明の発達がもたらすもの。これがどこに行き着くのかをちょっと警告するようなファンタジーですね。映画『2001年宇宙の旅』とか『猿の惑星』の中にあるようなことを誰も見たことのないようなルックスの4人がポップスにしてくれました。これが90年の年間チャート4位なんですよ。それだけヒットした。社会現象になった。1990年代はそういう時代でもありました。

1990年にデビューした人の曲をお聴きいただこうと思います。90年10月発売、アルバム『君が笑うとき君の胸が痛まないように』から2枚目のシングル。槇原敬之さん「ANSWER」。



90年10月発売、槇原敬之さんのデビューアルバム『君が笑うとき君の胸が痛まないように』の中の「ANSWER」。2枚目のシングルでした。カップリングの「北風」はアルバムの中の曲だったんですが、開局二年目のFM802の猛プッシュでカップリングになりました。デビューシングルは「NG」という曲だったんですね。デビュー曲が「NG」っていうのはないでしょうって、今でも彼は冗談でよく使ってますけど、やっぱり印象はこの「ANSWER」でした。出だしうまいなって今聴いても思います。槇原さんの曲の中で好きな5本指に入るんじゃないかな。「あの日地下鉄の改札で急に咳が出て 涙にじんで止まらなくなった」っていう、この回想のリアリティのセンチメンタルな印象。地下鉄の改札で咳と涙ですよ。それだけで見えるものがあるなと。そして記憶の中にずっと沈み込んでいくようなメロディのたゆたう感じ。うまいですね。

アルバムのタイトルも、長いタイトルが流行り始めたのがこの後ですよ。『君が笑うとき君の胸が痛まないように』っていう感情の機微。君が笑ってるときになんで僕の胸が痛むのか、っていうことを考えさせる。2人の関係というのが、ここに投影されてる距離感のうまさ。槙原さんのデビューがいかに衝撃的だったかってことを物語ってますね。ただ「NG」も「ANSWER」もチャートは圏外だったんです。91年6月に3枚目のシングル「どんなときも。」が出て、いきなり1位になったんですね。今でも覚えてますね。91年の、ある音楽賞の審査をやったときに僕、90年代に登場した最も才能あるシンガーソングライターだと言った覚えがありますね。まだ1年しか経ってないのにね(笑)。でもそれぐらいやっぱり印象度が強かったっていうことですね。

もう1人、この年にデビューして、後に槇原さんと並んで、男性シンガーソングライターの数々の記録を塗り替える人がいました。90年3月に「追憶の雨の中で」でデビューした福山雅治さん。でも今日曲をかける時間がありませんね。「追憶の雨の中で」も売れませんでしたね。こんな理由で選んでいいのかと思うんですが同じ事務所のアーティストの曲をお送りします。90年7月に発売になったサザンオールスターズ、「真夏の果実」。

Rolling Stone Japan 編集部

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