J-POPの歴史「1990年と91年、音楽業界の規模が倍々ゲーム的に大きくなった始まり」



1991年2月発売、小田和正さんの「ラブ・ストーリーは突然に」。91年1月に始まったドラマ『東京ラブストーリー』の主題歌ですね。オフコースの解散が89年2月で、小田さんのソロは86年から行われてましたけども、解散後の翌々年っていう時期ですね。90年の5月に解散後初めてのアルバム『Far East Cafe』を発売したんですね。フジテレビからは、オフコースの「Yes-No」みたいな曲をと依頼されたわけですが、小田さんは首を縦に振らなかったんですね。で、最初に書いた曲がフジテレビのOKをもらえなかった。いい顔をされなかったんですね。で、書き直したという話は有名ですね。

当初は小田さんはシングルのA面は、もう1曲の「Oh! Yeah!」の方を推していて、両A面シングルなりました。でもこのやり取りは小田さんらしいなと思いますね。最近はタイアップがないと曲が書けない、タイアップが自分のモチーフを刺激してくれるんだって言いますが、オフコース時代、そういうことしなかったですからね。それに対しての意地みたいなものがあったんでしょうね。でも、ノーが出たときに彼の職人性がメラメラと頭をもたげて、こういう曲になった。小田和正さんらしいエピソードじゃないでしょうか? 月9というのが90年代前半のキーワードですね。91年の夏に放送された月9ドラマの主題歌です。CHAGE and ASKA「SAY YES」。

SAY YES / CHAGE and ASKA

1991年7月発売、CHAGE and ASKAの「SAY YES」。月9ドラマ『101回目のプロポーズ』の主題歌。オリコン1位を13週間続けたんですね。でも年間のシングルチャートの1位は「ラブ・ストーリーは突然に」。2位が「SAY YES」ですね。ただ売り上げは「SAY YES」が約280万枚、「ラブ・ストーリーは突然に」を上回ったんですね。ランキングの集計時期ってのがありますからね。2年にまたがってヒットしたものは1年に計算するとちょっと減ったりする。そういう例ではあるんですけども。

フジテレビの台風の目になっていく皮切りになったのが、年間チャート3位に入ったKANの「愛は勝つ」だったんですね。これも『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』の挿入歌だった。90年7月に出たアルバム『野球選手が夢だった。』の中の曲ですね。「愛は勝つ」は、FM802のヘビーローテーションだったんです。FM802が89年開局ですからね。開局した直後の、俺たちがヒット曲を作るんだっていう熱みたいなものがですね、こういう例に表れてますね。年間チャートの4位が「どんなときも」で、5位が「はじまりはいつも雨」、ASKAさんのソロです。ラブソングとシンガーソングライターの全盛期というのが90年代の前半なんですが、それを象徴してるランキングでしょうね。

メディアもいろいろ大きく変わっていく中で、街の中でも新しいムーブメントが生まれるんですね。東京の渋谷界隈のクラブのDJが過去の名曲を掘り起こしてクラブで流すようになったりして、そこにサンプリングっていう手法が加わって新しいポップスが生まれてくる。火付け役が、84年に結成されたピチカート・ファイヴ。そこにORIGINAL LOVEの田島貴男さんも参加した。88年の『Bellissima!』、89年の『女王陛下のピチカート・ファイヴ』、これが渋谷系の源流と言われてるんですが、今日はその後に登場したグループの曲をお聴きいただこうと思います。91年7月発売、フリッパーズ・ギターのアルバム『ヘッド博士の世界塔』から「Groove Tube」。

Rolling Stone Japan 編集部

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