J-POPの歴史「1990年と91年、音楽業界の規模が倍々ゲーム的に大きくなった始まり」



1990年7月に発売になったサザンオールスターズの「真夏の果実」。9月に公開された映画『稲村ジェーン』の主題歌でしたね。『稲村ジェーン』のサントラアルバムに入ってました。もう1曲「希望の轍」もサントラ的な曲でヒットしたわけですが、「希望の轍」は稲村ジェーンオーケストラって言ってましたね、こういうバンドとソロとユニットっていうのをうまく使い分けてきてる。これも90年代のサザンオールスターズの一つの特徴でしょうね。

このアルバムが年間のチャートで2位。1位がさっきの『天国のドア』で、2位が『稲村ジェーン』ですからね。映画のサントラアルバムはヒットしないっていう定評があったんですが、これは異例の大ヒットだった。1964年、東京オリンピックの年の鎌倉稲村ヶ崎のサーファーが主人公、湘南版の『ビッグウェンズデー』。監督桑田佳祐。映画の興行も、この年4位だったんですね。曲もヒットして、映画も評判になった。中にはきついこと言う人たちもいましたけれども、やっぱり音楽映画としては歴史的な1作だったんじゃないでしょうかね。

この「真夏の果実」を聴くと思い出すことがあるんですが、それは後ほど話をしてみたいと思います。



90年2月に発売になった、BUCK-TICKの「悪の華」。90年2月に出た5枚目のアルバムなんですね。「悪の華」っていうタイトルで、ボードレールの詩集を思い浮かべた。これはどなたもそうだったと思いますが。アルバムチャート1位になったんですね。90年代に台頭してくる新しい流れにビジュアル系があるわけですけど、BUCK-TICKはその元祖と言っていいでしょうね。デビューが86年、インディーズの太陽レコードからデビューして、87年に『HURRY UP MODE』でメジャーに登場した。このときのライブのタイトルが『バクチク現象』だったんですね。現象っていう言葉を自分たちのデビューに使ったという意味では初めてでしょうね。

でも当時はビジュアル系って言葉はまだなかったんです。髪立系って言ってましたからね。ビジュアル系って言葉は、89年にX JAPAN、当時Xでしたけども『BLUE BLOOD』っていうアルバムを出したときに、HIDEさんがビジュアルショックっていう言葉を使った。そっから始まってるというふうに言われてますけど、そのときもまだ「ビジュアル系」というところまでカテゴライズされてはいなかったと思います。92年とか93年頃、LUNA SEAじゃなかったかな。その話はまた来週ってことなんでしょうが、BUCK-TICKは89年12月に東京ドームやったんですよ。観に行きました。その後に「悪の華」を出して、このアルバムが年間チャート20位ですからね。X JAPANはハードロックとクラシックをミックスした。BUCK-TICKは、ポップスと近未来が一緒になってる感じがしたんです。そこにダークサイドの美意識みたいなものが彩られて独特の世界を作ってましたね。

この年の年間ランキングやっぱ面白いですね。シングルの年間チャート1位がB.B.クィーンズの「おどるポンポコリン」ですからね。ちびまる子ちゃんのテーマ。近藤房之助さんと坪倉唯子さんのボーカル。京都のブルースバンドのボーカルギターと、桑名晴子さんのベーカーズショップの一員だった坪倉さん。渋い2人がこういう歌で年間チャート1位になった。BBというのはビーイング。事務所、レコード会社BMGの頭文字にBBキングをくっつけたという「勝手にシンドバッド」みたいなネーミングですね。それが年間チャート1位で、2位が「浪漫飛行」で、3位がLINDBERGの「今すぐKiss Me」。全部ドラマ主題歌なんですね。ポップスとメディアがもっとも蜜月だった10年が90年代でしょうね。そういう流れの中で、この曲が生まれました。小田和正さんの「ラブ・ストーリーは突然に」。

Rolling Stone Japan 編集部

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