甲田まひるが語る22歳の今を記した初アルバム、一番の手応えと理想

ー初シングル「California」は、1曲の中に展開がすごくあってエッジの効いた楽曲でした。そこからリリースを追うごとに、ポップ性が出てくるようになった印象があるんですけど、「CHERRY PIE」で作りたかったものがようやく作れたとも話していましたよね。

甲田:「California」は自分のやってきたことを提示するような楽曲で、振り返ってみて、ああいう作り方をしてよかったなと思っています。「California」を出したあとすぐ、「CHERRY PIE」の構想はあって。他に展開が一切ないデモとかもいっぱいある中で、デビュー曲は挑戦的なものを出そうということでしたが、今回のアルバムはバラードっぽいものや当時から溜めてた楽曲も収録しました。また新たにやりたかったことを提示するアルバムになっているかなと思います。





ー甲田さんのキャリアを振り返ると、ライブハウスでピアノのジャズセッションをしてきたり、ヒップホップや海外の音楽も造形が深いと思うんですけど、どうしてポップスを目指すのかなって純粋に気になっていて。

甲田:ジャズをやっていた頃から、すごく自信を持って作品を出していますが、若い人にも自分の音楽を聴いてもらうにはどうすればいいんだろうと、ずっと考えていたんです。ただ、そのためにポップスをやっているかと言われたら、それはまたちょっと違くて。洋楽を聴いて、アリアナ・グランデとかリアーナにハマったのも、普通に女の子としての憧れだったり、こういう服を着て歌って踊っているのが羨ましいなみたいな気持ちがあって。昔からそういうものが好きで育っているので、人前で好きなファッションを披露したり、表現するのもずっとしたかったんです。だったら1回、自分が表現したいことができる音楽をやるべきなんじゃないかなと思って、アメリカの大学で勉強するかギリギリまでずっと悩んでたんです。でも、25、6歳で日本に帰ってきてポップスを始めるよりは、今やりたいことを日本で挑戦して、後からでもジャズをもう1回勉強すればいいって、最終的にそういう決断をしました。

ーアメリカで音楽の勉強をするという選択肢もあったんですね。

甲田:元々、行けるんだったらアメリカの高校から行こうと思っていたんですけど、日本でやっている仕事も楽しかったですし、それ以上に、やっぱりやりたいことがあったんです。

ー迷った末に日本での活動を選んだ決め手はなんだったんでしょう。

甲田:とにかく歌が歌いたくて。アメリカで勝負できるかと言ったら、R&Bがちゃんと歌える人とか国籍を問わずたくさんいるじゃないですか。私はそれまで歌ったことがなかったので、そこで勝負するのは自分的にあまり個性が出せないなと思って。そして日本の曲も好きだし、日本語で歌いたいってなった時に、やはり日本にいるべきだなと思って。勉強しに行くのもいいけど、 時すでに遅しになるのが怖かったのが大きいです。

ーちゃんと周りの環境のことや、年齢だったりも踏まえて考えていたんですね。

甲田:母にもずっと相談していて。もし本当に人前に立つ仕事がしたいなら、若ければ若いほど挑戦する年としていいだろうしっていう現実的な話をしてくれて。それは確かにそうだなと。自分の中で歌をやるイコール絶対踊るって気持ちがあったので、まずは日本で活動をしようと決めました。

Rolling Stone Japan 編集部

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