石垣島在住87歳のジャズシンガー齋藤悌子が語る、戦後から現在に至る歌手人生

Tennessee Waltz / 齋藤悌子

田家:1950年、パティ・ペイジで大ヒットして、江利チエミさんとか雪村いづみさんとか、たくさん流れました。僕76なんです。この曲、子供のときにいっぱい聴きました。大好きな曲です。この曲はどんな思い出がおありですか?

齋藤:それはもう好きで歌いましたけども、やはりいろんな方が歌ってますでしょ。最初聞いたときから好きになりました。

田家:齋藤さんのお子さんのときは、どんな音楽が周りにおありになったんでしょう。

齋藤:音楽には全く関係なかったですね。高校行ってからですね。音楽に目覚めたっちゅうのは。音楽の先生がとてもよくしてくださって、そのときはクラシックを歌ったりしたんですけどね。そして学芸会で独唱したりしたんですけども、音楽の先生が私に学校卒業して社会に出たら音楽の道に行った方がいいんじゃないのって一言おっしゃったことがあって。私はもうその気になってましたね。

田家:戦争中は台湾に疎開されてたんですよね。

齋藤:そうです。戦争中は台湾に家族で行きまして、姉と父親は疎開できなかったんですね。宮古島の学生でしたからね。娘だけ1人残すのはかわいそうだからということで、父親も残って2人残って私達だけ。母親と兄と台湾にいったんですね。ですから戦争の厳しさっていうのはあまり体験してないですね。で、終戦後帰ってきましたから。

田家:宮古島も何度も空襲は受けてらっしゃるわけでしょう。お姉さまは従軍看護婦をされていたっていう。

齋藤:そうです。あの頃は、ひめゆり部隊と同じで、女学生みんなそういうことをやらされて、いろいろと働いてたようですね。ですから、後で聞いた話ですけども、米軍がもし近づいてきたら、どうせ死ぬんだったら一緒に死のうねって父親はいつも毒薬を手に持ってたってことを聞かされたときは、本当に胸が熱くなりましたね、こういうこともあったんだって後で聞かされましたね。

田家:戦争が終わったときにはどんなふうに思われたか覚えてますか。

齋藤:終わったときは台湾にいましたから。終戦後、どうしても帰らなきゃいけないっていうことで戻ってきたんですね。ですから、戦争の激しい経験っていうのはあまりないですね。

田家:お父さんは三線をお弾きになってたっていう記事を見ました。

齋藤:子供の頃、たまに父親が夕飯済んだ後に1人で弾いて歌ってるのを子供心に覚えてます。

田家:基地で歌うようになったのが、さっきおっしゃった高校の先生のすすめだった。そのときのクラシックを歌われたっていう話がありましたね。

齋藤:学生の頃はやはりクラッシックですから、高校生のとき歌った曲というのは「アヴェ・マリア」を独唱した記憶があります。

アヴェ・マリア / レオンティン・プライス

田家:基地のオーディションで「アヴェ・マリア」を歌われたときはどうだったんでしょう。

齋藤:基地で歌ったことはないです。オーディションのときに「なんか歌ってごらん」って言われたって何歌っていいかわかんないすけど、もう学生の頃に歌ったっていうだけのことなんですね。ですからそれを聞いてスカウトしてくれたんでしょうね。

田家:どこで歌われたんですかオーディションは?

齋藤:それは音楽の先生のお宅だったんじゃないかな。記憶ではね。こういう子がいるよっていうことを先生が紹介してくださったんじゃないかなと思いますけどね。東京からバンドメンバーが来まして、そこのリーダーが私の主人なんです。

田家:スカウトされたときってのはどんなふうに覚えてらっしゃいますか。

齋藤:声を聞いて、私が思うに仕込めば何とかなると思ったんじゃないですか(笑)。それから必死になって、もうありとあらゆる曲を覚えました。ウエスタンやらいろんな曲覚えました。サービスクラブってのがありまして、米軍キャンプの中には。そこに日曜日に行くと軍人さんのために、ソング・フォリオという本がいただけるんです。それには今アメリカでヒットしてる曲が全部載ってるわけです。それはいつも私の勉強になるんですね。夢中になっていろんな曲を覚えました。ですから今、昔からの手帳を見ると、400近くありますね。覚えた曲。その中には好きでなくて歌わない曲もたくさんありますけどね。やっぱり好きな曲はずっと続けて歌ってますね。もう入ってるときはもう、ありとあらゆる曲を歌うようにしてました。

田家:ご主人はその都度、そこはこうした方がいいよとアドバイスをされたりして。

齋藤:厳しかったですね。音楽に関しては、主人がアドバイスしてくれましたから、いろいろ教えてもらいましたけど、発音の方はキャンプの中にスターズアンドストライプスという新聞社があって、そこの記者の方がとてもかわいがってくださって、一生懸命発音を教えてくださって。私が思うには、軍人さんにしてみれば、沖縄の若い子たちにも苦労をかけたなって気持ちがあったんじゃないかな。行くと必ずご馳走してくれるし、丁寧に発音を教えてくださるし、そういう意味では私にしてみれば本当にラッキーでしたね。今はなかなかそういうことないと思うんですけど、その頃は丁寧に教えてくださいましたね。

田家:今日初めて悌子さんが歌われたスタンダードっていうことで、この曲をお聞きいただこうと思うんですが、パティ・ペイジの「Changing Partners」。

Rolling Stone Japan 編集部

Tag:

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE