石垣島在住87歳のジャズシンガー齋藤悌子が語る、戦後から現在に至る歌手人生

Summertime / 齋藤悌子

田家:これは千葉のホテルやクラブとかでも歌を歌いになった。

齋藤:もうよく歌いましたね。大好きな曲ですから。

田家:千葉にお帰りになったのは何でだったんですか。

齋藤:主人の両親がだいぶ歳をとって、そろそろ帰ってきたらどうかってことを言われまして。千葉へ行ってから続けて子供が2人できまして、そのときは5年ぐらい歌を辞めてたんですけど、クラブとかホテルから話が来て、またやらないかって話が来て、迷ってるところお姑さんが、おやんなさいよって、せっかくいい話なんだからって言ってくださったんで、甘えてまた始めたっていう感じです。

田家:1989年に石垣に戻られた。

齋藤:それは娘が毎年遊びに来てるうちに石垣の青年と結婚して、石垣に喫茶店を始めたんでね、主人が老後は石垣に住もうかってことで、思い切って石垣に引っ越してきたんです。そして石垣に住んで5年ぐらいしてから、あんなに石垣が大好きだった主人が急病で倒れて亡くなったんすけどね。それからは歌を辞めてたんです。

田家:15年以上ですよね。

齋藤:ラジオから音楽聴くのも嫌でしたね。すぐ涙が出ちゃうから聞かないようにして、しばらくはね。

田家:でも再開するきっかけがあった。

齋藤:きっかけは老人クラブというものがありまして、そこに行って観てたり、フラをやったりしてるとやっぱり好きだから乗り出してきて始めたって感じです。

田家:そうやって始められた歌と、基地の中で歌われたころの歌っていうのは。

齋藤:全然違います。

田家:一番違うことは何でした。歌ってらっしゃってて感じることとか思うこととか。

齋藤:やっぱり今のようにデビッドさんの伴奏で歌うときには昔を思い出して、スタンダードっていいなと思いますけどね。でもそんなわがまま言ってられないし、とにかく今は楽しく若い人たちと、何でも歌う。60年前の歌謡曲も歌いますよ。ウエスタンも何でも歌うようにしてます。

田家:今も何でも歌われてる。

齋藤:若い人たちがこれいいなっていうのがあったらやろうかって歌うようにして。努めて声を出すように努力してます。ですから、お話したことがあったと思うんですけど、今でも毎日朝はラジオ体操とボイストレーニングは欠かせません。

田家:ボイストレーニングで、何か歌われたりするんですか。

齋藤:いや、もう、声を出すだけです。高い音から低い音まで。腹式呼吸をまずやって。ですから石垣島の老人大学っていうのがあるんですね。去年もやりましたけど今年も依頼が来たんですけど、私の健康法は、まず声を出すことだということまで教えてね。朝は空気をいっぱい吸って、腹式呼吸をやって声を出すことが私の健康法で。そうすると朝ご飯もとても美味しいしね。皆様にぜひやってくださいって言うんですね。少しお喋りをするんですけど。老人大学でそんなことやってます。

田家:今日最後の曲、「Cry Me A River 」。



田家:石垣島在住87歳のジャズシンガー齋藤悌子さんが我が人生思い出の曲として挙げられました。ジュリー・ロンドンの「Cry Me A River」。ご主人のギターでこれをよく歌われた。やっぱりご主人のギターは特別なものがありましたか。

齋藤:それはもういろいろあります(笑)。

田家:この曲についてご主人が何かおっしゃったことは覚えてらっしゃいます。

齋藤:とにかく息の合った歌い方をするように。こういうときにはこういう感じでって。ギターも結構主人も好きだったらしくてその曲はよくやりましたね。ですから一番思い出深い2人の曲はこれですね。

田家:先週のこの番組のゲストが、BEGINの比嘉栄昇さん。石垣島在住。彼は齋藤さんのお名前は存じ上げてるけど、お会いしたことないんだと言ってました。

齋藤:名前だけはよく知ってますけどお会いしたことないですね。

田家:この番組の録音を栄昇さんに送ることになってるんで。

齋藤:今度ぜひどこかでお会いしたいですね。

田家:最後に一つお聞きしたいんですけど、番組が「LEGEND CAFE」なんで、思い出のカフェとか、今石垣島で行きつけのカフェがおありになったら教えてください。

齋藤:私達が行くのはもちろん、「すけあくろ」もそうですけども、ウクレレのメンバーで練習してます「カフェ・タニファ」ってお店で。毎週土曜日に集まってウクレレで歌ってます。

田家:わかりました。お元気で歌い続けてください。どうもありがとう。

齋藤:ありがとうございました。

Rolling Stone Japan 編集部

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