続・J-POPの歴史「1990年と91年、バンドブームと怒涛の日本武道館公演ラッシュ」



1991年2月発売、上々颱風の3枚目のシングル『愛より青い海』。この曲は91年のJALのキャンペーンソングだったんですね。90年のJALの沖縄キャンペーンが米米CLUBの「浪漫飛行」ですよ。「浪漫飛行」から「愛より青い海」に流れる振り幅が90年代そのもの、面白かったですね。上々颱風はバンジョーに三味線の弦を張った「三線バンジョー」という楽器を使っていたり、ドラム・ベース・ギターに和楽器、民族楽器、沖縄のカチャーシーとかレゲエとかサンバとか一緒になってる。これぞ無国籍音楽でしょうね。ソウル・フラワー・ユニオンと上々颱風は、そういうバンドの双璧でしょうね。上々颱風はさすがに武道館が似合わないということで武道館はやらなかったと思いますが、彼らの活動は離島とか市場とか芝居小屋とか、かなりユニークなところを回ってましたね。僕が見たのは日比谷野音でした。さすがにやっぱりそういうところになりますね。

彼らの「Let it be」のカバーがあるんですけど、これは世界中の「Let it be」の中でもユニークなものの一つに数えられるんではないでしょうか。90年、91年、改めて思い出すことがいろいろあったりしてるんですが、あなたはどんな思い出をお持ちなんでしょう。90年は、そういう80年代と90年代のバンドの一つの境目にもなってるわけで、次にお聞きいただくのは90年に解散したバンドの曲です。ROGUEの「終わりのない歌」。



今日最後の曲、ROGUEの「終わりのない歌」。87年のシングル。彼らは89年に初めて武道館をやって、年末にニューヨークのCBGBでライブをやったんですね。僕、取材でそれ見に行ってます。残念ながら90年に解散してしまいました。解散の正式な発表があったかどうかちょっと記憶がないんです。解散した後、ボーカルの奥野敦士さんはソロになって、でも2008年に事故で半身不随、車椅子生活になってしまったんです。

2012年に「ap bank fes」で、Mr. Childrenの桜井和寿さんが、この歌をカバーしたんです。そのときに奥野さんが歌えるようになった姿を映像で流したんですね。彼が投稿したサッチモの「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」を、桜井さんが奥野さん歌えるようになりましたっていうことで紹介して。僕も彼は歌えるようになったんだって、そのとき知りました。奥野さん、不屈のリハビリで歌えるようになって、2013年にROGUEは再結成しました。今でも活動してます。体の不自由な人たちのためのチャリティーコンサート「GBGB」をずっとやってて、今年の6月、いったんピリオドを打つということで2日間行われました。車椅子のボーカリスト。パラリンピックで彼らが歌ったのは新しい記憶ではないでしょうか? ときを超えて再結成される。「終わりのない歌」が歌い継がれる。90年代が、そんな時代の発信元になればいいなと思いながら、この曲で締めてみました。

Rolling Stone Japan 編集部

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