続・J-POPの歴史「1992年と93年、女性のラブソングとポップソングの全盛期」



1992年11月発売、竹内まりやさんの「家に帰ろう (マイ・スイート・ホーム)」。いつ聴いてもほっとする。ときを超えた普遍のアメリカン60's。J-POPの帰るべき場所。そんな気のする1曲ですね。

さっきの「部屋とYシャツと私」が結婚する前の女性の歌でしたけど、この「家に帰ろう」は結婚した後。冷蔵庫の中で愛が凍りかけた2人が愛を取り戻す歌。結婚してお互いのことをわかり合ったカップルのやり直しの歌ですね。まりやさんは結婚して家庭に入ってシンガーソングライターとして活動して、ライブをやらないでご主人の達郎さんからシンガーソングライター専業主婦というふうに呼ばれるようになりました。



1992年4月発売、GAO2枚目のシングル「サヨナラ」。バンドブームのピークが90年だったっていう話を先週しましたが、NHKがバンドコンテスト番組を始めたんですね。「全日本勝ち抜きロック選手権 BSヤングバトル」。全国のNHKの地方局が窓口になって地方大会が行われて、テープ審査、それからライブ審査があって、全国から集まったバンドで全国大会が行われた。審査員がそうそうたる顔ぶれだったんですね。例えば小倉エージさんとか、渋谷陽一さんとか、吉見佑子さんとか。その中に私も加えてもらってましたが、この地方大会の審査が面白かったんですよ。各局の会議室に集まってカセットテープを聞いてくんですけど、そこから始まって各地のライブハウスでライブ審査を通過して全国大会に集まる。1回目の優勝がバンドのGAOだったんです。プロになったときにはソロになって彼女1人で活動してました。2回目の優勝がシャ乱Qですね。「ラーメン大好き小池さん」。GAOはソロデビュー91年、2枚目のシングルが「サヨナラ」で、92年93年と紅白歌合戦にも出ました。

女性アーティストにもいろんなタイプがいて、まりやさんみたいな家庭に入ったまま活動するちょっと大人のシンガーソングライターがいたり、平松愛理さんのようなカジュアルな人がいたり、GAOのようなボーイッシュな人がいたり。次の人もそういうボーイッシュなイメージの女性でした。92年と93年、初めて女性アーティストで横浜スタジアム公演を成功させたのが、この人です。永井真理子さん。最大のヒットで90年のシングル「ZUTTO」。

ZUTTO / 永井真理子

永井真理子さん、90年10月発売のシングル「ZUTTO」。91年の紅白でこの歌を歌いました。日本女子体育短期大学出身で、とってもボーイッシュで、元気印が旗印でしたね。デビューが87年なんですが、彼女を92年で取り上げたのはいくつも理由があって。92年4月25日、尾崎豊さんが危篤状態で発見された。その知らせを聞いたのが、永井真理子さんの取材の直前だったんですね。取材が始まっちゃったんで、あまりその話は考えないようにしてたんですけど、取材の間はもう気もそぞろだったっていう記憶があります。そして92年8月、93年7月、横浜スタジアムで彼女がライブをやりました。

92年の手帳を見てたら、永井真理子っていう名前が随所に出てくるんですね。92年11月打ち合わせ、というふうに書いてあって、その日の夜がGAOのPOWER STATIONのライブなんです。POWER STATIONと武道館に通ってた年だったなと思ったりもしたんですね。永井真理子さんの93年のツアーは取材でかなりあちこち一緒に行った記憶がありますね。そういうツアーの後、横浜スタジアムで婚約発表したんじゃなかったかな。93年9月25日、永井真理子結婚って書かれた日があって、その日、POWER STATIONでパーティーだったと思うんですが、そのときの司会をしたなと思い出したりもしました。

92年、93年、印象的だった女性アーティストの曲をもう1曲お聞きいただきます。森高千里さん、93年6月に出たシングル「ハエ男」。

Rolling Stone Japan 編集部

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