続・J-POPの歴史「1992年と93年、女性のラブソングとポップソングの全盛期」



93年6月発売19枚目の衝撃のシングル「ハエ男」。アイドルのイメージを変えた1人でしょうね。これも一つの元気印のバリエーションだったんじゃないかと思いますが、先週お話した「24時間、戦えますか?」という企業戦士をこんなふうに揶揄していたっていう1曲ですね。92年の6月に「私がオバさんになっても」。あれも驚きましたけども、その後93年「渡良瀬橋」が出て、とてもしっとりした、こんなに叙情的な歌も歌うんだと思ったら、この曲でしたからね。

この年、92年、93年の4枚のシングルは驚かされっぱなしでした。怖いものなしの女性陣。でも、森高さんのディレクターが矢沢永吉さんを手掛ける瀬戸さんだという話を聞いて、これも驚いたことの一つでありました。



92年9月発売、大黒摩季さんの「DA・KA・RA」。5月にデビューシングル「STOP MOTION」が出て、2枚目のシングルでした。作詞作曲は大黒摩季さんですね。90年代の音をしてますよね。TM NETWORKと初期のB'zが一緒になってるみたいなそんな音ですけども、これが当時のビーイングの音でしょうね。で、この曲がですね、2枚目でいきなりミリオンです。

ライブをやらなかったりしたわけで、本当にいるんだろうかっていう憶測が交わされましたね。ZARDのデビューが91年。ライブをやらなかったり、CMをうまく使ったりっていう、これがビーイングの戦略でしたね。でも大黒摩季さんのスタッフとかミュージシャンの中には、B'zとかTUBEのサポートメンバーだった人たちがちゃんと加わってるんですね。音楽的なバックグラウンドをきちんと作り上げた上で、世に送り出してた。ZARDはモデルさん出身だったわけですけど、大黒さんはコーラス出身で、オーディションを落ちまくってた時期があるんですね。そういうキャリアを全部踏まえながら、表に出なくていいから曲だけで勝負した。この大黒摩季という人は、実はとてつもなく歌がうまいんじゃないかって話をしたことがありました。本当にそういう人でしたけどね。

93年のシングルのタイトルが「別れましょう私から消えましょうあなたから」。長いですよね。B'zが「愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない」。もう1組、WANDSがいましたね。「愛を語るより口づけをかわそう」。90年に槇原敬之さんの「君が笑うとき君の胸が痛まないように」。これが長いタイトルの走りだと思うんですが、そういうものをちゃんとキャッチして、さらにそれを商品化するビーイングの力というんでしょうか、それが存分に発揮された、そんな時代ですね。

時の扉 / WANDS

93年2月発売、WANDSの「時の扉」。年間アルバムチャート2位がこの『時の扉』だったんですね。

この曲は作詞が上杉昇さん、作曲が大島康祐さん、編曲が明石昌夫さん。上杉さんはWANDSのリーダー。明石さんはB'zのサポートで知られた人ですね。上杉さんは元々ガンズ・アンド・ローゼズで音楽の道を志して、LOUDNESSに憧れていた。LOUDNESSはビーイングの所属でしたからね。ビーイングがやってた音楽スクールでこういう形に変わっていった。アメリカにはモータウンとかスタックスとか、いわゆるレーベルの音ってのがありましたけど、日本でここまでレーベルの音という形を作り上げたのはビーイングぐらいでしょう。

そういうレーベルの音っていうところから離れて自力で自分たちの音楽を作り上げたのがB'zでしょうね。92年のアルバム『ZERO』、そして94年のアルバム『The 7th Blues』は、その成果ということになるんじゃないでしょうか? そういうバンドブームが去って、実力派と個性派が残った。これが92年93年でしょうね。個性派をお聴きいただきます。麗蘭、93年7月発売、「マンボのボーイフレンド」。

Rolling Stone Japan 編集部

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