続・J-POPの歴史「1992年と93年、女性のラブソングとポップソングの全盛期」

マンボのボーイフレンド / 麗蘭

1993年7月発売、麗蘭2枚目のシングル「マンボのボーイフレンド」をお聞きいただきました。RCサクセションのチャボ(仲井戸麗市)さんとストリートスライダーズの蘭丸(土屋康平)さんのバンド。良かったですね。それぞれのバンドが活動を休止して2人が組んだんですね。2人は文通友達だったという話がありました。文通ってのがいいでしょう。

結成が91年で、10月にシングル「ミュージック」とアルバム『麗蘭』が出たんですね。当初、1年限定で全国ツアーをやりました。「麗蘭との夕べ」。92年に日清POWER STATIONでライブがありました。これも良かったですね。93年に再度全国ツアーに出ました。東京はPOWER STATIONで、神戸がチキンジョージ、京都が磔磔。麗蘭の磔磔はそのままずっと続きましたからね。

今お聞きいただいた「マンボのボーイフレンド」は最初のアルバムにもライブ版にも入ってないんです。1年間ツアーをやった後に出したシングルなので、僕、この歌が一番好きだった。ギターのリフの気持ちよさと、チャボさんの歌が本当に溶け合ってる。チャボさんの言葉の情景感みたいなもの、エキゾチックな感じがよく出てて、ライブでもこれは聞きどころの一つでしたね。やっぱりこれをかけようということでお送りしました。業界にファンクラブができたんですよ。ファンクラブ名前を連ねたい人いませんかって。僕も手挙げましたからね。あまりの評判に毎年ライブをやるようになったそんな1組でした。

もう1組ご紹介しますね。そういう国内のブームがどうなの?って、私達は知らないわよっていう、そういう主戦場が世界だったバンド。少年ナイフ、93年発売「コンクリート・アニマルズ」。



93年9月発売、少年ナイフ、メジャー2枚目のアルバム『Rock Animals』から「コンクリート・アニマルズ」をお聞きいただきました。

結成が81年。83年にインディーズでCDを出して、そのアルバムがアメリカの関係者の目に留まって、85年に全米発売された。大阪から東京を飛び越してアメリカに行ってしまって、世界ツアーになったという異例のバンドですね。92年8月に日本のメジャーデビュー。そしてその年もイギリスツアー25公演を行った。年末にレコード大賞の特別賞をもらってるんです。当時のレコード大賞は、そういうこともちゃんと目配りをしておりました。

手帳にあったんですよ。93年2月15日、渋谷公会堂、少年ナイフって。俺、少年ナイフ観てるんだと改めて思い出しました。インタビューも2回はやってますね。そういうことを忘れちゃいけないんですが、やっぱりその後あまり接触がなくなると何となく記憶が薄れていくもんだなとちょっと自分を戒めた、そんな発見でありました。

2021年に海外に出られなかったんで、国内で40周年ツアーをやって、今年の2月に新作アルバム『OUR BEST PLACE』が出ております。そして昨日、心斎橋のライブハウスANIMAでライブが行われたはずなんですが、どんなライブだったんでしょう。40年間ですよ。海外でこんなふうに活動してることに対して改めてリスペクトの気持ちを込めてお送りしました。そんな92年、93年。92年の年間チャート1位をお聞きいただきます。米米CLUB「君がいるだけで」。



今日最後の曲、1992年5月発売、米米CLUB「君がいるだけで」。最後は盛大に。そういう感じですけども。アルバムは92年6月に出た『Octave』。この「君がいるだけで」は当時史上最大のシングルヒットだと思うんですね。約289万枚。シングルもアルバムもダブルミリオン。90年の年間チャート2位が米米CLUBの「浪漫飛行」で、87年の曲でしたからね。こちらはホヤホヤの新曲で、93年1月に彼らは初めて武道館のライブ行ったんですね。それまで武道館なんかやらないって言ってたんですが、結成8周年で武道館を8公演やりました。武道館の形は8角形ですからね。そういう洒落がちゃんと効いていて、8日間全部選曲が違ったという、そんなライブでありました。

Rolling Stone Japan 編集部

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