続・J-POPの歴史「新しいバンドたちが新しい扉を開けた1994年と95年」



94年5月発売、TUBEの「夏を抱きしめて」。この曲は94年の年間チャート21位。21位でもミリオンセラーだった。そんな年です。デビューが85年で、初めて日本の夏をテーマにしたのが「あー夏休み」、これが90年ですからね。88年から横浜スタジアムのライブを始めて、91年から甲子園球場、92年からナゴヤ球場。TUBEのスタジアムコンサートは夏の風物詩として定着していく、そんな90年代でした。



THE BOOM、95年3月発売のシングル『風になりたい』。アルバムは94年11月に出た『極東サンバ』でした。

80年代にデビューした人気バンド、自分探しというのはこの頃ですね。ユニコーン、ジュンスカ、THE BOOMという、PATi PATiの人気3バンドと言っていいでしょうけど、それぞれが変わっていきましたね。ユニコーンはメンバーがそれぞれ自分たちのオリジナリティをぶつけるという形で、脱力系・お遊び系という新しいナンセンスさを獲得した。THE BOOMはもうちょっと生真面目に音楽をやってましたね。90年の3枚目のアルバム『JAPANESKA』で沖縄音楽に出会って、92年に「島唄」が生まれたんですね。でも宮沢さんは沖縄にとどまってなかった。さらに南下して、ブラジルにたどり着いた。

『極東サンバ』の共同プロデューサーは、チト河内さんとモーガン・フィッシャーだった。チト河内さんは元GSのザ・ハプニングス・フォー、それから新六文銭、トランザムのドラマーですね。THE BOOMのドラムの栃木孝夫さんのドラムの先生でした。モーガン・フィッシャーは元モット・ザ・フープルのキーボードだった。これ今回改めて気づきました。この『極東サンバ』はブラジル音楽をやりましたっていうところにとどまってなかったですね。「風になりたい」は日本発のサンバを作りたいということで作った曲ではあるんですけど、日本で流行ってる音楽が地球をぐるっと反対側に回って、こういう形になった。音楽の通底、実験のように思えたんですね。このアルバムは面白かったですね。ブラジルツアーを行った最初のロックバンドがTHE BOOMだったんじゃないでしょうか? 

次の曲の入ったアルバムはロンドンで制作されました。布袋寅泰さん、94年6月発売『GUITARHYTHM IV』から「さらば青春の光」。



94年6月発売、布袋寅泰さんのアルバム『GUITARHYTHM IV』から「さらば青春の光」。布袋さんの曲の中で、間違いなく僕はこの曲が一番好きですね。これはいい曲だなと改めて今も思っております。シングルで出たのが93年ですね。布袋さんがロンドンに滞在して各地を旅しながら作ったアルバムが『GUITARHYTHM IV』だった。「さらば青春の光」という映画がありましたね。ザ・フーの『四重人格』を基にした青春映画。舞台になったのがイングランドのブライトンという港町。モッズの記念碑と呼ばれてる映画ですね。

『GUITARHYTHM』は88年に1作目が出て、テーマがありました。ギターとコンピュータの融合。でも『GUITARHYTHM IV』はそこから離れて、もう少し青春の色、人間の色、街の色とか、そういうものが表れてるアルバムで。この曲が、その中に入ってました。95年3月、阪神淡路大震災のチャリティーコンサートが武道館であったんですよ。そこに氷室さんと布袋さん、2人ともソロで出たんです。武道館で顔を合わせることはなかったんですけど、同じ武道館の会場に2人がいたということだけで話題になった、そういう時期ですね。

95年、氷室さんは自分のレーベルを設立して、ポリドールに移籍して初めてのバラードシングル『魂を抱いてくれ』を出した。そんな年でした。90年代半ばにピークを迎えた人、ご紹介します。松任谷由実さん「春よ、来い」。

Rolling Stone Japan 編集部

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