続・J-POPの歴史「新しいバンドたちが新しい扉を開けた1994年と95年」



94年11月発売、松任谷由実さんのアルバム『THE DANCING SUN』の中の「春よ、来い」。シングルは94年10月に発売になりました。ウィークリーチャートはもちろん1位で22週間チャートインしていた。ミリオンセラーを達成しましたね。

さっきピークとあえて申し上げたんですけど、ユーミンにピークはないわよと思われた方もいらっしゃるでしょうね。そして彼女のピークはいつかと聞いたときの答えも皆さん違うんじゃないかと思うんです。70年代っていう方もいらっしゃるでしょうし、80年に『守ってあげたい』がでて、その後に訪れた第二次ユーミンブームのときという方もいらっしゃるでしょう。でもセールス的には90年代前半なんですね。93年に『真夏の夜の夢』が出て、94年7月に『Hello, my friend』が出て、この「春よ、来い」とシングルが3作続いて全部1位になって、全部ミリオンセラーになった。セールス的な意味でのピークと思っていただけると助かるんですが。シングルチャート1位は75年『あの日にかえりたい』だけでしたからね。そして、アルバムで最も売れたのが、この曲の入った『THE DANCING SUN』だった。そういう中で、あえてピークというふうに申し上げました。

大御所が存在感を見せつけたのが94年95年でもありますね。全くそういう今までのご紹介したアーティストとは違う活動の先頭に立ったのがこの人でした。泉谷しげるさん「It's gonna be ALRIGHT」、95年のアルバム『追憶のエイトビート』からお送りします。



泉谷しげるさんの95年のアルバム『追憶のエイトビート』の中の「It's gonna be ALRIGHT」。93年に北海道南西沖地震、通称奥尻島地震がありました。泉谷さんは札幌でチャリティーコンサートを行ったんですね。で、94年に雲仙普賢岳が噴火しました。長崎で「メッセージソングの日」というコンサートを行って、その流れで「日本を救え!!」というスーパーバンドを作りました。武道館コンサートもありました。95年1月に阪神淡路大震災が起きて、泉谷さんは全国ゲリラライブ「お前ら募金しろ!」というストリートのライブを展開しましたね。

「メッセージソングの日」があったときに、『メッセージ・ソングス』というアルバムを出して、その中に「黒い波」って曲もあったんですね。被災地で無神経に取材しているメディアに対しての怒りをぶちまけていて、「お前らこそ 黒い波にのまれちまえ」って本当に激しい歌だったんですが、「It's gonna be ALRIGHT」は、そういう曲ではなかったですね。とっても優しくて、大丈夫だよと。阪神・淡路大震災に印税が全部寄付されました。天災と自然災害に翻弄される今の日本列島。この辺から始まったのかもしれませんね。

チャリティーという概念が定着していったのが90年代前半、特に94年95年だった気がします。大物同士の、そんなコラボレーションをお聞きいだだきます。95年1月発売、桑田佳祐&Mr.Children「奇跡の地球」。



95年1月発売、桑田佳祐&Mr.Childrenで「奇跡の地球」。この曲は95年の年間チャート7位なんですね。93年12月から「Act Against AIDS」というチャリティーイベントが始まりました。1回目の武道館、桑田さんが中心でしたけども、泉谷さんも駆けつけてました。さっきお話した泉谷さんの札幌奥尻チャリティーコンサートには桑田さんとか、清志郎さんとか、小田和正さんが応援に駆けつけたんですね。

「奇跡の地球」はこの「Act Against AIDS」の一環として生まれました。プロデュースしたのが小林武史さんですね。小林武史さんは2000年代に入って、Mr.Childrenの桜井さんや坂本龍一さんたちとap bankという低利子融資団体を発足するんですね。そうやって音楽が繋がっていくんだという一つの例でしょう。

Rolling Stone Japan 編集部

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