目立ちたがりのアバズレ? 米インフルエンサー界の草分け的存在が振り返る壮絶な過去

彼女はコンドームに覆われたドレス姿の写真をブログに投稿し、「背景Gawker様、ケツにキスしな」と見出しをつけた

「今じゃごく普通の有名になるやり方よね」とアリソンは語った。「でもあの当時は誰も心構えができていなかった。当時はにわか名声と呼ばれていたわ。思わぬタイミングで人気が爆発する例ね。テイラー・スイフトがブレイクしたのと同じことはできない。だから代わりにたくさん注目を浴びて有名人になるの――ただし、限られたニッチな分野でね。超有名でありながら、同時に無名という奇妙な取り合わせが生まれるわけ。インターネットで有名になるやり方は、私も含めてみんな初めてのことだったのよ」。

2007年2月、デヴィッド・カープ氏とマルコ・アーメント氏はニューヨークでブログサイトTumblrを設立した。Tumblrでは、プログラミングの経験がない人も美しく、すっきりとしたシンプルなブログを立ち上げることができた。

きっかけとなったのは、視覚に訴えるおしゃれなブログを作りたいというカープ氏の願望だった。だが周りを見回しても、「自分が投稿したいと思うカッコいい動画やリンクやプロジェクト」を投稿できるプラットフォームが見つからなかった、と後に同氏は雑誌net誌に語っている。こうした嗜好は、カープ氏がライター畑の人間でなかったためでもある。高校を中退した20歳のプログラマー兼デザイナーは、開発仲間のアーメント氏と自力で問題を解決することにした。

2人はプラットフォームをTumblrと名付けた。ユーザーはものの数分で@tumbr.comのユーザー名を登録し、美しくデザインされたテンプレートからひとつ選んでカスタマイズすることができた。後はテキストや画像、GIF、引用、動画を投稿すればいい。

WordPressやBloggerといったそれまでのサービスとは違い、Tumblrは早いうちから「リブログ」というソーシャルメディアの機能を備えていた。リブログの技術はニューヨークのアート&テクノロジーセンターEyebeamに在籍していたマイケル・フルミン氏とジョナ・ペレッティ氏が開発した。ペレッティ氏のルームメイトだったティム・シェイ氏(TumblrとオフィスをシェアしてNext New Networksという会社を運営していた)は、リブログ機能をDJに例えた。「あちこちに自分の意見をちょっとずつ織り交ぜつつも、大衆をハッピーにさせ続けることができる」と、自身のブログにも書いている。やがてTumblrはブログプラットフォーム兼ソーシャルネットワークサイトと化し、いいねやコメント、コンテンツのシェアができるようになった。世に出たタイミングもばっちりだった。ちょうどMySpaceが尻すぼみになり、1年ほど前に立ち上がったTwitterは限られた人に向けたテクノロジー寄りのサービスだった。業界を独占していたFacebookも当時はまだオフラインの交友関係が中心で、同じ興味を持つ赤の他人を結び付けるものではなかった。Tumblrは煩雑で、クリエイティヴで、現実社会では見知らぬ者同士がわんさと集まって偽名でやり取りしていた。あらゆるタイプのクリエイティヴな人間をとりこにし、スタートから2週間も経たないうちに7万5000人のユーザーを獲得した。ジュリア・アリソンもその1人で、1日に10回近くも投稿していた。


ジュリア・アリソン(MIKE COPPOLA/FILMMAGIC)

ロサンゼルスがネットクリエイターの聖地となる以前、インターネットでファン獲得に励む人々がたむろしていたのがニューヨークの「シリコンアレー」だった。2000年代が終わりになるころには、「生身の世界」でインターネットカルチャーを体現するイベントが次々現れた。マイク・ブルームバーグ市長は2008年、「ニューヨークのインターネット業界を称える」ことを目的に、ニューヨーク市主催の「インターネット・ウィーク」を立ち上げた。人気急上昇のフラットアイアン地区がTumblrやブロガー文化の巣窟だった。アリソンもTumblrのパーティの常連になり、NYCのITシーンではおなじみの存在だった。

当時Gawkerの動画部門を仕切っていたリチャード・ブレイクリー氏は2009年のインターネット・ウィークの日程表を見て、パネルディスカッションばかりでアフターパーティがないことに気が付いた。そこで、アッパーウエストサイドのエンパイア・ホテルの屋上でイベントを企画した。

そこから生まれたのが、「ウェビュタント・ボール」と呼ばれる毎年恒例インターネットのプロムパーティだ。RandomNightOutというwebサイトでITシーンを追いかけていたカメラマンのニック・マクギリン氏は、「名前が知られた途端、誰でもこのパーティに顔を出す」と2010年にオンラインマガジンDaily Beastに語っている。名誉会員として殿堂入りを果たしたアリソンは「プロム実行委員会」の1人だった。

Akiko Kato

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