性的暴行疑惑のヒットメーカー、米音楽業界での輝かしい実績と「黒い噂」

ヒップホップとR&Bに再注目

干され状態となったゴットワルドは、ヒップホップとR&Bに再注目した。ポップスよりも厳しい目にさらされずに済むと思ったからではないか、と某エグゼクティブは推測する。「ヒップホップは、彼にとっての安全地帯でした」とその人物は指摘し、一部のZ世代アーティストの記憶からケシャとの件が薄れつつあったことも有利に働いたと言い添えた。2020年には、Too Shortのサンプリングをドロップしたスウィーティーの「Tap In」を単独プロデュース。シングルチャートの20位にランクインした。その後スウィーティーは、制作中はドクター・ルークが何者かまったく知らなかったと主張した。「私はまだ未熟者だから」とVulture誌に語り、「未熟さは、諸刃の刃のようなもの。スタジオ入りしても、そこにいるのは知らない人たちばかり。あの人の功績や疑惑を知ったのは、2回ほどセッションを重ねてからだった」と明かした。

同年、ジュース・ワールドの遺作となったアルバム『Legends Never Die』に収録されたシングル「Wishing Well」が5位にランクインした。これもドクター・ルークの作品だ(もうひとりのプロデューサーはChopsquad DJ)。過去10年間にゴットワルドと仕事をした経験のある某ソングライター兼プロデューサーは、「彼は、何らかの方法でいつも時代を先回りする。だからこそ、あそこまで多作なんです」と語った(本誌の2011年のインタビューの未公開部分でゴットワルドは「同じことは絶対に繰り返してはいけない(中略)同じトリックは2回使えないから、必然的に変化を迫られるんだ」と語っていた)。



ゴットワルドは「雇われヒットメーカー」で満足するような人物ではなかった。本当のねらいは、アーティストを支配することだった。確かに、ケイティ・ペリーの成功の立役者のひとりとしてデビュー当初から彼女を支えてきたが、自力で生み出した最初のスーパースターはケシャだった。そこに14歳のベッキー・Gが続くはずだったが、ゴットワルドの庇護下の7年間でシングルを数枚リリースしたにも関わらず、リリースしたアルバムはたった1枚とブレイクに時間がかかった。「ゴットワルドがアーティストを自分の所有物であるかのように扱うのは有名な話です」と某シンガーソングライターは言った。

2012年にゴットワルドは、リリースを控えていたケシャの2ndアルバム『Warrior』に対する意気込みを次のように本誌に語っていた。「このアルバムには、ケシャと同じくらい強い思い入れがある。このプロジェクト全体に愛着を感じているんだ。だから私はケシャをがっかりさせたくないし、自分自身を失望させたくもない」(未公開部分より)。裁判所に提出された文書によると、その年の6月にゴットワルドはジュースクレンズをしているはずのケシャが「ターキーを食べ、ダイエットコーラを飲んでいる」のを目撃。これについてゴットワルドは、その場で「もっと食生活に気をつけなければいけない」という内容の「話し合い」を行なったと弁明した。ケシャは泣きながらその場を去り、マネージャーから苦情が入るとゴットワルドは「ケシャが食事制限を守らないと、みんなが不安になる。私たちは、彼女が何度もそれを破ってきたのを見ている。それに、トップレベルのソングライターやプロデューサーがケシャの体型を理由に楽曲を提供しなくなるという懸念もある」と反論した。ゴットワルドの弁護士は、メールの文脈が無視して解釈され、ケシャ「本人の体型に関する悩みを気遣ってのことだった」と主張した。

その後、ケシャは重度の摂食障害にかかり——本人は「死にかけた」と言う——2014年にリハビリ施設に入院した。2017年に本誌の表紙を飾った際、インタビューで「当時は、何も食べてはいけないと思っていた」と明かした。「だから、食べてしまった時は、後悔のあまり食べたものを吐き出していたの。『食事をするなんて、信じられない。私には何かを食べる資格なんてないのに、本当に恥ずかしい』という気持ちでいっぱいだったから」

Translated by Shoko Natori

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