クミコが語るシャンソン喫茶「銀巴里」、日本のポップミュージックへの影響



田家:お聴きいただいているのは越路吹雪さんの代表曲でもありました「ラストダンスは私に」。これも銀巴里でお歌いになっていた?

クミコ:ええ、歌いましたね。数少ないレパートリーの中で。歌っていて、初めて歌い手が自分の体を通して歌を自分のものにしていくというのはどういうことか知らせてくれた歌でもあります。この女の主人公の気持ちが全然分からないなと思ったんですね。もうちょっと速く、ロックのようにしてくれませんかって伴奏の方々に言ってロックっぽくやっていたら、突然なんですけど、自分から向こう側に逃げていく男の背中が見えたような気がして、あんた何やってんのよみたいに歌っちゃった瞬間があったんです、銀巴里の中で。急に怒りが湧いてきて、あなたに夢中なの!って怒っちゃったんですね。そしたらお客さんがわー!ってなって、びっくりして。それが初めて自分が歌が体を通ったなというか、歌ってこういうことの力があるのかもしれないと初めて体験できて。そうやって自分のものにしていっていいのだと、逆を言えば。その後の永六輔さんが渋谷のジャンジャンという小劇場でこの歌を私が歌うのを聴いて、なんなんだこの人はと。越路吹雪さんの舞台監督もされていた方なんですけども。

田家:あ、そうなんですか。

クミコ:そうなんです。とっても親交の深かった永さんなのですが、こんな怖いシャンソンを歌う人は初めて見たと言って、とても気に入ってくださって、それからいろいろな前座みたいな形で公演とかにお供をしたり、いろいろなことを紹介してくれたりと本当に人生の恩人のお1人になりました。

田家:銀巴里ってそんなに広いところじゃないわけでしょう? 椅子が定員で110人で、立ち見入れて120人ぐらいだという。

クミコ:立ち見なんて銀巴里で経験したことないので分からないんですけども、基本私が出ているときなんかは何十人ですよね、せいぜいね。30人とか40人とかバラバラみたいな感じで、まあ安かったということもあるんですけども若い方も年を召した方も1杯のコーヒー分でいつまでもいていいという自由さがある風通しのいい場所ではありましたね。

田家:そういうお客さんは越路吹雪さんの歌自体あまり馴染みなかったり?

クミコ:馴染みのある方もいたと思います。

田家:クミコさんが歌っているのを知っていてお客さんがつくようになって?

クミコ:いえ、大して。とにかく私は弾かれ者みたいだったと思いますから、ものすごくおもしろいと思ってくださる方となんなんだこの失礼なやつはって、まあ失礼だったんですけど(笑)。失礼なやつはなんだって思うやつと、ほとんど二分していた感じはありますね。

田家:そういう怒りを歌に込めたのがシャンソンのお客さんに届いたのかもしれませんね。

クミコ:そうですね。自分と近いと思ってくださる方はOKだけど、シャンソンってそういうものじゃないって思う方は必ずいらして、なんなんだこの無礼な女はと(笑)。だって地団駄踏んで歌を歌うなんてやつを許してはくれないと思うんですよね。

田家:でもシャンソンでそういう歌ありそうですけどね。

クミコ:それがね、日本でシャンソンを愛好する方というのは、やっぱりちょっとどこかインテリっぽい方もいらっしゃったと思うのでお気に召さない方もたくさんいらした。それもそれで当たり前なんですけど、きっといろいろな方がいらっしゃったと思いますね。

田家:このへんは加藤登紀子さんにお訊きしてみたいなと思いますね。そういう中で歌われたクミコさんの「ラストダンスは私に」をお聴きいただきます。

ラストダンスは私に / クミコ

田家:これは1996年のアルバム『世紀末の円舞曲』の中の曲ですが、たしかに全然シャンソンっぽくないですね(笑)。

クミコ:ぶりっ子しているのに怒ってしまうという(笑)。

田家:毎回こういう形で歌われていたんですか?

クミコ:そうですね。結構この形でうけてたものですから、ちょっと飽きてきちゃったなと思うと飽きるなんて100年早いみたいに永さんに怒られた覚えがあります(笑)。飽きてからが勝負ですっていうことを怒られた記憶もございますね。

Rolling Stone Japan 編集部

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