クミコが語るシャンソン喫茶「銀巴里」、日本のポップミュージックへの影響



田家:流れているのは元祖「ヨイトマケの唄」ご本家。

クミコ:ご本家ですね。若い声ですね。

田家:美輪さんが銀巴里で歌われているのもご覧になっているんでしょう?

クミコ:ありますね。みなさんたくさん来られるので席を取るのが大変なんですけども、一番前の席かなんかで拝見したことがありますけどもすごかったですね。ただならぬ力、エネルギーがあって。劇場でも拝見はしていましたけども、銀巴里で見ると違うエネルギーの強さを感じました。

田家:美輪さんは銀巴里に開店の翌年からお出になっていて、その頃は銀巴里にはお客さんがあまり入らなかった。

クミコ:そうらしいですね、昔は。最初、ちょっとキャバレーっぽいところ、あるいはジャズハウスみたいな形を変えていったらしいんですけども、美輪さんが実質的な社長さんのような経営者のような形で人を集めて、すごい格好をして銀座の街を歩いてお客さんの呼び込みをしたっていうんですから、さすが美輪さんですよね。

田家:『シャンソンと日本人』という集英社新書の本がありまして、生明俊雄さんという。この方がそのエピソードをお書きになっているんですね。紫の衣装で路上で「バラ色の人生」を歌った。通行人がいつも出てくるので、紫のおばけが出るという話があった。

クミコ:美しいおばけですねー。

田家:やっぱりただならぬものをずっとお持ちだった方なんでしょうね。

クミコ:きっと世の中に対する不条理とかを抱えて、それを炎にして歌われていた、生きてこられた美輪さんだと思いますね。

田家:ヨイトマケという存在自体が今の方は想像できないのかもしれないですが、昔は道路工事も全部人力でやっていたので、地面を固めるために巨大な丸太を左右にロープで引っ張ってせーので丸太を引き上げて、ドーンっとそれを落として地面をならしていたという、そういう肉体労働の方の歌なんですよね。美輪さんのご親戚かな。そういう仕事をされていた。銀巴里のお客さんに東大の学生さんがいて、その方がエンジニアになる。で、この歌詞が生まれたというふうに生明さんがお書きになっていました。

クミコ:すごいなあ。

田家:まさに昭和ですよね。10月と11月にクミコさんが行うコンサート、「わが麗しき歌物語 銀巴里で生まれた歌たち」ここにゲストでお出になる方がいらっしゃる。

クミコ:長谷川きよしさんが11月24日、25日が瀬間千恵さんという両方とも銀巴里で活躍をされた方です。長谷川きよしさんは知っている方がたくさんいらっしゃると思いますが、瀬間千恵さんは今年80をとうに過ぎたレジェンドですけども、本当に素晴らしい方で美しくてゴージャスで瀬間さんにもご登場願おうと思っています。

田家:その方の曲をお聴きいただこうと思います。瀬間千恵さんで「倖せな愛などない」。

倖せな愛などない / 瀬間千恵

田家:10月7日に神戸朝日ホール、10月22日に札幌道新ホール、11月18日に名古屋ウィンクあいち。そして11月24日、25日有楽町のI’M A SHOW(アイマショウ)で行われるクミコさんのコンサート「わが麗しき歌物語 銀巴里で生まれた歌たち」にゲスト出演される瀬間千恵さんの「倖せな愛などない」。

クミコ:すごいタイトルですよね。いかにもシャンソンって感じですね。

田家:いかにもシャンソンですね。やっぱりそういう愛することの苦しみであるとか、悲しみであるとか嘆きであるとかっていう。瀬間千恵さんは25年間銀巴里でトリを務められていた。

クミコ:私が入ったときも、もうもちろんトリでいらっしゃいまして、私がバタバタと緊張してはああ怖いと言うので「あなた落ち着きなさい!」といつも怒られました(笑)。

田家:歌う場所としてはかなり緊張する場所でした?

クミコ:そうですね。初めて友だち以外のお客さんがいるという場所でしたので、それまでは大体仲間内でやっているライブは客席は大体友だちとその友だちが連れてきた人だらけじゃないですか。アマチュアって。それがどこの誰か分からない人だらけで、ステージに立つときに一体自分は何者なんだろうって毎回分からなくなりましたね。この人たちに歌を聴かせるって一体私は何者なのっていう。そこができるようになったとき、初めてプロになったんだと思うんですけど、少しずつ。

田家:銀巴里が育ててくれたということですね。もう1人ゲストの方がお出になるのですが、その方の曲をお聴きいただきます。長谷川きよしさん、1969年のデビュー曲「別れのサンバ」。



田家:長谷川きよしさんにはそういう思い出がおありになる?

クミコ:私が入ったとき、銀巴里には既におられなかったんですが、その後、何回かご一緒にライブをする機会があって、コロナ前でしたけれどもとても楽しい思い出がある。今回やっとコロナが明けたということで、京都の方にいらっしゃるので悪いんですけれども、こちらにということでお願いをしました。

田家:時期がズレたとしても同じところで歌っていたことがあるという親近感みたいなものがおありになる?

クミコ:銀巴里ってものすごく懐の深い場所で、シャンソンに関しては深いという方じゃなくて浅川マキさんも加藤登紀子さんもそうですけど、永六輔さんも歌っちゃったということがあるぐらいで。本当にいろいろな方に門戸を開いたというか、おもしろい方、そういう方を舞台に登場させたという意味では非常に懐の深い場所だったなと思いますね。

田家:「わが麗しき歌物語 vol.6 ~銀巴里で生まれた歌たち...時は過ぎてゆく~」どんなコンサートになるんですか?

クミコ:もちろんシャンソンも歌いますけど、ときどき田家さんとご一緒する中島みゆきさんの歌もちょっと歌いたいなというふうには思っています。

田家:来週の話になるのかもしれないのですが、みゆきさんがクミコさんにお書きになった「十年」もシャンソンですもんね。

クミコ:そうですね。あれは金子由香利さん「再会」の続編だと残間里江子さんはおっしゃっていて。中島みゆきさんは金子由香利さんのコンサートにお忍びで来てらしたという。それがあって私がシャンソン歌手ということもあったので、私に曲を書くにあたって「再会」の続編みたいに書こうともしかしたら思われたんじゃないかと深読みをしております。

田家:今日最後の曲は、この曲で締めてみようと思います。クミコさんの1996年のアルバム『世紀末の円舞曲』から「最后のダンス・ステップ」。

Rolling Stone Japan 編集部

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