加藤登紀子が語る訳詞、世界中を回って歌を歌うこと

今日は帰れない / アンナ・プルクナル

田家:加藤さんが選ばれた2曲目「今日は帰れない」。これはどういう曲ですか?

加藤:アンナ・プルクナルはポーランドの歌手なんですけど、1989年にポーランドはソ連から自由な政府に変わるんです。いろいろな意味で革命的なことが起こったときに、フランスで大スターになったわけです。亡命している人として。プルクナルが日本でコンサートをしたときに幸運にも私に紹介してくれる人がいて、大の仲良しになっちゃったの。ですけれど、私が「今日は帰れない」って曲をレコーディングしたのはそのもっと前で1982年。坂本龍一さんとレコーディングしているんですね。

田家:アルバム『愛はすべてを赦す』。

加藤:『愛はすべてを赦す』とか「今日は帰れない」とかを私に教えてくれた人がいて、それをもとに「今日は帰れない」を訳詞を作ってレコーディングしたんです。この間、龍一さんの『愛はすべてを赦す』のアルバムをあらためて見ていましたら、この「今日は帰れない」は作者不詳だったんですけど、NHKの番組で2010何年かに追いかけて、全部作曲者が分かって。その後にアンナ・プルクナルがポーランドの歌手として来て、友だちになった。この曲を媒介にしてまた深まりました。

今日は帰れない~パルチザンの唄~ / 加藤登紀子

田家:アルバムの中ではパルチザンの唄というサブタイトルもついておりました。やっぱり40年前の感じがありますね。

加藤:今ライブでよく歌っている歌なんですけど、ちょっとかわいらしく歌っていて。龍一さんはその頃大貫妙子さんとか、矢野顕子さんとか、ちょっと細い高い声で歌う人と一緒にやってたから(笑)。

田家:張り合っていた(笑)。

加藤:ちょっと声が太くて低いのは、ちょっと私のコンプレックスだったので、できるだけかわいく歌おうとしているんですよ(笑)。それが今からすると残念なんですけどね。もうちょっとズバッと歌えばよかったなとか思うんですけども。

田家:次の歌はアメリカですね。流れているのはピーター・ポール&マリーの「花はどこへ行った」。思いがけないと思われた方もいらっしゃるかもしれません。

花はどこへ行った / ピーター・ポール&マリー

加藤:私は1969年にギターで歌っていたのでフォーク・ソングというジャンルで捉えてくれている人も多いんですけど、この曲は日本語で野に咲く花はどこへ行くという訳詞で歌われていたんですよね。その訳詞はあまり好きじゃなかった。でも無視できないなって気持ちになったのは、マレーネ・ディートリヒがこの曲を70年代に歌ってた。戦争に関わった国を全部歩いて、この歌を歌って歩くということをしていたんですよ。

田家:えー、ディートリヒが?

加藤:そうです。70年に大阪万博に来てる。そのときに「花はどこへ行った」を歌ったんですよ。全然BPMが違う。ぐさっと来るようにボロボロ涙出ちゃうように歌っていたんです。私はディートリヒの歌をずっと深めていくうちに分かったことがあって。これはピート・シーガーの曲なんだけど、ピート・シーガーが50年代、所謂赤狩りの時代に。

田家:マッカーシー旋風がありましたからね。

加藤:マッカーシー旋風で活動を禁止された。あの人はちょっと左翼系だったので。そのときに世界の放浪に出ていて、ショーロホフのロシア語小説の中にコサックの子守歌が引用されていた。それをもとにピート・シーガーが50年代終わり頃「花はどこへ行った」を作ったエピソードにたどり着いたんです。ピート・シーガーの本の中に書いてある。それで、やっぱり私が歌わなきゃいけない歌じゃないかなって。70年代にディートリヒが全世界を歩いた出発点はピアフが死んだときなんですよ。あなたがもう歌わないのなら私が歌うしかないかしらってマレーネ・ディートリヒは思って。そこから奮起してバート・バカラックや素晴らしい音楽家と出会って、彼女は全世界に出ていった。そういう歴史があったりするので、ピアフ物語をするときに初めて「この花はどこへ行った」を歌った。

田家:加藤登紀子が歌うしかないということでこの歌が生まれました。「花はどこへ行った」。

Rolling Stone Japan 編集部

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